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2011年 1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月

11月

2011.11.6(日)岐阜オレンジリボンリレーマラソン
2011.11.8(火) Ch FILES 取材
2011.11.12(土)清笠祭(せいりゅうさい)
2011.11.16(水)笠松町商工会青年部とCAM塾との交流会
2011.11.23(水)杉山邸 「小品 油絵展」 杉浦 明美(旧姓 村井)
2011.11.24(木)ほんごう幼稚園
2011.11.27(日)笠希な集い27
2011.11.29(火)二分の一成人式、冊子完成

2011.11.29(火)二分の一成人式、冊子完成
今年で五年目を迎える事が出来た、「二分の一成人式」事業です。今年も本当にたくさんの親子の皆さんに参加して頂くことが出来ました。中には親子の感動が綴られ、読んで見ると夢中になってしまいます。我が家の三男も来年は自分の番で有る事は薄々気がついているようです。私が持ち帰った冊子を「来年の参考にする」と言って読んでいました。明日、11月30日に各小学校へ配布し、四年生全員へ配布される事になります。感動が届くまで、もう少しお待ち下さい。

2011.11.27(日)笠希な集い27
今回で27回目を迎えた「笠希な集い」です。今回は初めて日曜日の午前、つまり日中に行いました。今までは、基本的に土曜日の夜19時からと決めていたのですが「夜はいけないのよ」とよく言われていました。今回、思い切って昼間にした所、今まで一度も来て頂けなかった方、ご案内をしていなかった方等、大きくご参加して頂けた方が変わりました。有りがたいことに、予定の時間を過ぎてしまいましたが、最後までお聴き戴けました。
本当にありがとうございました。

2011.11.24(木)ほんごう幼稚園
ほんごう幼稚園保護者会主催の講演会講師を務めて来ました。
そうなんです、そもそもどうして岐阜市にある私立幼稚園の保護者会でお話しする事になったのでしょうか?・・・岐南町のある会場でご挨拶する機会を頂きました。そこで東日本大震災のボランティアに参加して感じた事を5分程お話ししたことがありました。たまたまほんごう幼稚園と関係のある方もおられ、その会場主催者の方の照会を経てお話しが舞い込んだのです。
そこで事前の打ち合わせで、保護者会の方から付けて頂いた演題が「震災に学ぶ 親と子の生きる力」だったのです。先週、一週間ほぼ徹夜の毎日でパワーポイント60枚程のスライドを作成、およそ80分の講演会に臨んだのです。
どんな風に聴いて頂けたのか?とても不安ですが、とりあえず寝ている方は見つける事は出来ませんでした。とてもマナーの良い保護者の皆さんで、話しやすい会場でした。改めて、勉強することが出来ました。貴重な機会を頂きましたこと、本当に感謝致しております。ありがとうございました。

すばらしい先生方と保護者の皆さんのお陰で、子ども達は素直に元気に育って行きます。先生が誇りだとお話し頂いた子ども達の「元気な挨拶」と「絵」を拝見するとうなずけます。その誇りを幼稚園全体として共有化する事で、「ほんごう幼稚園」は一層すばらしい子ども達を育てて頂けることと確信致しました。
そうなんです、「未来」を作るのは、野田首相でもありません、自民党でも民主党でもないのです。それはお母さんが「未来」を作り出すのです。家族の力を得て!!

2011.11.23(水)杉山邸 「小品 油絵展」 杉浦 明美(旧姓 村井)
錦秋の候 小品展を開催いたします。ご来鑑賜りますようご案内申し上げます。
とき:平成23年11月18日(金)〜20日(日) 23日(水) 25日(金)〜27日(日)午前9:30〜午後4:00
入場無料
ところ:笠松町本町63 杉山邸 土蔵内
「笠中D組 村井明美さんの出展です。時間がありましたら、皆さん是非観に行ってあげてください(^O^)」
と笠中1975同級生メーリングリストに投げ込みがありました。更にその感想に「村井明美さんの油絵展は、まっすぐで繊細、そして上品な 彼女そのものでした。(^-^)行けばきっと癒されますよ!」
同級生も何人か訪れてくれていました。ありがたいものです。
今日、私も見て来ました。16時前の終了間際にもかかわらず、明美さんのお父様にご案内いただきました。
会場の杉山邸土蔵の中に一歩は行って、先ず目に付いたのは「鰯」の油絵。それをお父様へ伝えると「娘も気に入っているようです」と言って頂きました。
これから25日(金)〜27日(日)午前9:30〜午後4:00も残っていますので是非ご覧下さい。

2011.11.16(水)笠松町商工会青年部とCAM塾との交流会
今回はCAM塾の講習会委員会の企画で行われました。以前からの課題「笠松を知ろう」シリーズです。今までに笠松刑務所・岐阜羽島警察署と続いて今回は笠松競馬場をテーマにする事になりました。
そこで堅〜い話しを笠松競馬場の現状と問題点と題して岐阜地方競馬組合事務局長兼経営部長の尾藤良博氏を迎えました。しかし、本当に話してもらいたいのは「笠松競馬がこんなに苦しいので馬券を買って下さい」ではなく!!「馬券を買って競馬を楽しむとこんなに楽しいよ!!」が聞きたかったのです。そこで予想屋さんである大黒社一岡浩司さんもお迎えし、楽しいお話しをお聞きすることが出来ました。残念ですが所用で懇親会には出席出来ませんでしたが、きっと盛り上がったとおもいます!!

2011.11.12(土)清笠祭(せいりゅうさい)
岐阜県立岐阜工業高等学校文化祭を「清笠祭」と呼ぶようになったのは昨年からでしょうか?私が入学した昭和49年の文化祭は創立50周年記念文化祭として一般公開され盛大に行われた事は覚えています。自分達の工業計測科1年生は喫茶「パープル」を運営し走りまわっていました。
今年の清笠祭も盛大で工業高校らしさに溢れた内容となっていました。校門をくぐって先ずは、電子機械科(旧工業計測科)へ足が向いてしまいます。そこには懐かしい実習室の光景が広がっています。そこでは人力発電回す後輩達の姿を見ると何故かうれしくなってしまいます。

2011.11.8(火) Ch FILES 取材
Ch FILES KASAMATSU とは、笠松町商工会岐阜工業高校とコラボで、町内の企業、商店の紹介をするフリーペーパーです。町内の各商店、まちの駅、ふらっと笠松などに置いてあります。
年間2回、冬号と夏号の発行をしており、今回の冬号にて川島化成(有)を紹介して頂けるとの事で、岐阜工業高校デザイン工学科2年生のお二人と、広告代理店の方に来訪して頂きました。弊社では、家電品や自動車の一部品を生産しております。これまでに生産してきた物をご説明させて頂きました。皆さんのお目にとまる部品を多数有り、その生産方法等には、とても興味をもって聞いて頂きました。そして今月からは、直接お客様へ完成品としてお渡し出来る物を生産するための準備をしていましたので、それも説明し試作品をお渡ししました。それはWMCホイッスルと言う、緊急連絡用ホイッスルとIDカードを組み合わせて物です。Web上に電子カルテを置くことが出来、それに医療情報、投薬情報等を記録、IDとパスワードにてアクセス、数カ国語で翻訳が可能で、世界中どこからでもインターネットに繋ぐことが出来れば、被災した時や、事故や病気の時には有効に働いてくれるものと考えています。

左の写真のWMCホイッスルは試作品です。

2011.11.6(日)岐阜オレンジリボンリレーマラソン
オレンジリボンは、児童虐待防止のシンボルです。オレンジのタスキを繋ぎ、リレーマラソンを行う事で、児童虐待防止のキャンペーンを行います。岐阜県では11月6日午後3時に岐阜市役所をゴールに四つのコースで行われ、そのひとつの三川コースの羽島市からタスキを引き継ぎ、笠松みなと公園から岐南町民体育館で行われている「岐南フェスタ」の会場までのリレーマラソンへ出走しました。
9月22日にfacebookへメッセージが入りました。
「11月6日のオレンジリボン・マラソンで笠松代表で走ってもらえないでしょうか?普段から走っていない人ではまったく話にならないので4kmのコースですが 協力していただけないでしょうか?」との事でした。9月時点では、予定が入っていなかったのでお引き受けする事にしたのですが、こんなに大きなキャンペーンだとは気が付きませんでした。以前、羽島郡二町教育委員会主催の教育講演会でお話しは伺い、オレンジリボンを自車に貼り付けてはあるのですが・・・
今日は、少々雨模様です。それでも9人の仲間たち(多分、私以外は二十代ではないかと思います。)と元気に完走する事が出来ました。お骨折りいただきました、皆さんへ感謝です。

10月


2011.10.21(金)羽島郡議員スポーツ大会
2011.10.22(土)松枝小学校ふれあいタイム201
2011.10.23(日)川と海のクリーン大作戦
2011.10.20(木)老人レクレーション大会
2011.10.19(水)岐阜工業高校運動会

2011.10.23(日)川と海のクリーン大作戦
毎年、国土交通省、岐阜県、沿線市町などが協調して河川環境保護の観点から川と海のクリーン作戦を展開しました。
私は、いつも我が子と供に参加しています。流石に大学・高校となった長男・次男を連れて行くわけにも行かず、三男と一緒の参加となりました。行って見ると、いつも拝見する、顔・顔・顔です。この辺の所が、本当は問題なのかも知れません。実は、住民協同を支えていただいている方々が限定されているのです。ただ一般の方が非協力的と言う事ではなく、参加を募る側が、呼びかけられる側に立って無い様な気がします。


2011.10.22(土)松枝小学校ふれあいタイム2011
平成13年に第1回が行われたのが最初です。平成14年度に郡PTAの事例発表の当番に当たったのがきっかけです。その後、2回の開催を経て、私が父親委員長としてコンセプトを整理しました。更に、地域の方を講師に行っていた、クラブ活動の発表の場としてシステム化を行いました。
そして昨年からは、科学実験を中心とした企画に変更され、以前にも増してパワーアップしました。私も実験中心の企画をしたかったのですが、当時は“難しい”との判断で見送った事を覚えています。今回の様な企画が一層発展して行き、理数離れに歯止めがかかるのを祈念します。
講師の方には、PTAの役員さんを始め、聖徳学園大学の皆さんによる「10円玉をピカピカにしよう」、岐阜工業高校の皆さんによる「缶バッチづくり」「エコ消しゴム」やNPO法人サイエンスものづくり塾エジソンの会の皆さんの「簡易ホヴァークラフト」を始めとする多くの講座に、子ども達も保護者も夢中でした。

2011.10.21(金)羽島郡議員スポーツ大会
今年は、笠松町が幹事町となっていますので、みなと公園芝生広場での開催となりました。
羽島郡は、岐南町と笠松町の二町のみ、議員定数も削減され合計20人となってしまいました。大きな大会が開ける訳もなく、例年通りグランドゴルフ大会となりました。結果も例年通り、岐南町優勝・笠松町準優勝となりました。
私個人しては、始めてホールインワンを出す事が出来、参加賞以外の賞品を手にすることが出来た、貴重な大会となりました。

2011.10.20(木)老人レクレーション大会
今年も元気な高齢者の皆さんの声が響き渡ります。毎年ほぼ同じ内容の老人レクレーション大会が今年も巡って来ました。
しかし、ひとつ考える事が有ります。それは、変わらない安心感です。いつも有る物がそこに有る安心。いつでも同じサービスが受けられる安心。同じプログラムでレクレーション大会が楽しめる安心。これは、何物のも変えられない部分も有るように思われます。だた時代は、川のように常に流れて行きます。そこに住む人も変わって行くのですが、急激な変化は好まないのかも知れません。何処で変化したのかは、変えた本人でさえ“歴史”を待たなければ実感出来ない事なのかも知れません。
老人レクレーション大会で言えば、毎年同じプログラムで大会を進めていても、役員の入れ替えがあったり、参加される方も同じように見えても、必ず変化があるのでは無いでしょうか?それを何世代も重ねて変わっていくのでしょう。それでも、その方向性を指し示す“指導者”の存在は最も重要になって来るのかも知れません。
もう一つ、ここでも「君が代」を歌う安心が・・・

2011.10.19(水)岐阜工業高校運動会
今年から、岐阜工業高校同窓会幹事長をさせていただいております。運動会のご案内をいただきましたので、見学に行って来ました。昨年、卒業以来始めて運動会を見て当時の想いをまざまざと思い出されたのです。自分達の「科」の威信をかけて挑む運動会には、特別な感情がこみ上げて来ます。
今年は、最終の応援合戦にやっと間に合う程しか見ることが出来ませんでしたが、彼らの迫力有る演技をご覧下さい。
総合優勝を果たした「設備システム科」と応援合戦優勝を手に入れた「電子科」です。


9月

2011.9.3(土)笠希な集い26
2011.9.8(木)夏休みの宝物作品展
2011.9.11(日)羽島郡科学作品展・課題作品展

2011.9.9(金)ギーエム会・CAM塾交流研修会
2011.9.11(日)松枝地区防災訓練
2011.9.14(水)歴史民俗資料館準備
2011.9.15(木)笠松中学校体育大会
2011.9.18(日)ファミリーコンサート2011
2011.9.23(金)松枝保育所運動会


2011.9.23(金)松枝保育所運動会
今年も保育所の運動会がやって来ました。この頃の子ども達は、光り輝いています。毎日新しいことが出来る様になり、毎日新しい言葉を覚えて。喜びと感動に親子供に溢れています。そしてその集大成の一つが運動会でもあるのです。
でも忘れて行けないのは、それになじめず、ついて行けず、落ち込んでいる親子もいるのかも知れないと言う事を。
それでも晴天の秋空の下、応援鼓笛演奏に嬉々として取り組む子ども達を見ていると、力が湧いて来ます。生命の不思議な力です。

2011.9.18(日)ファミリーコンサート2011
今年のファミリーコンサートはゴスペル特集です。出演はサニーサイドゴスペルクラブ名古屋ゴスペルコーラスユニット「MRKTS」 皆さんです。私自身、ゴスペルのコンサートは始めての経験でしたが、皆さんが本当に楽しそうに歌う姿に感激し、時の経つのを忘れて聴き入ってしましました。
観客の入りが少々淋しいのが気になました。本当にたくさんの皆さんに聴いてもらいたいと思っているのでしょうか?疑問に思います。もちろん観客の数だけが評価の基準ではありませんが、同じ予算を使うので有れば、より多くの皆さんに感動を感じて欲しいと思います。
例えば、企業とタイアップしてお互いのメリットを引き出し合うのも必要なのかも知れません。行政が「金儲け」をしてはいけないと言う観念を転換し、町内の皆さんが儲かる仕組み作りが必要だと感じています。
そう言えば「ゴスペル」です。「アメージンググレイス」をお聞き下さい。

2011.9.15(木)笠松中学校体育大会
いつも第3回定例会と重なる笠中の体育大会です。今年も議会と重なり、最初の一部を拝見しただけに終わりそうでしたが、議会の終了が早く、最後の応援合戦に間に合うことが出来ました。
団女子対抗で行われた「竹取物語」と「黄団応援合戦」だけを拝見する事が出来ました。団体戦だけで個人戦が全く組まれていないプログラムに少々疑問を感じない訳では有りません。日本人が日本人たる最大の武器「和」の心を養うには最も良い教材なのかも知れません。私も中学時代の最も感動出来た時代でした。

2011.9.14(水)歴史民俗資料館準備
この度、笠松町歴史民俗資料館では、岐阜工業高校の企画展を行っていただく事になりました。8月3日にはポスター製作用の写真を撮りに行ったのですが、今回は実際に展示する物を、岐工記念館にある同窓会事務局で借り受けます。
歴代の同窓会報、今は使用されていない襟章・バックル、初代校長先生の写真、記念誌など多くの資料を持ち出すことが出来ました。
それらに加え、現役の生徒さんからは、各科で学んでいる内容の展示など見応え有る内容となると確信しています。

2011.9.11(日)松枝地区防災訓練
今年の防災訓練は、松枝地区が全体訓練になっています。各町内で集合訓練を行った後、松枝小学校運動所へ集合します。
陸上自衛隊の皆さんが東日本大震災での活動状況の展示、装甲車の展示など子ども達のよりも大人たちの目を釘付けです。
なんと言っても皆さんを引きつけたのは、新型はしご車の試乗です。子ども達の「ぼくも乗せて〜」の声を尻目に悠々と伸び上がるはしご車に拍手喝采です。
しかし、いつも感じるのは、実は「防災訓練」とは、「防災後訓練」で有る点です。災害が起きた後にどう行動するかはとても大切ですが、起きる前にどう対処するかが最も大切なのです。私も良くわかっているのですが、自宅の耐震補強は出来ていません。これは私自身の課題です。

2011.9.9(金)ギーエム会・CAM塾交流研修会
岐南町商工会ジーエム会と笠松町商工会CAM塾との交流研修会が開催されました。今回は、CAM塾が担当ですので交流会委員会の皆さんによる計画で、講師に陸上自衛隊守山駐屯地業務隊二等陸尉 林 修司 氏をお迎えし、「東日本大震災における災害派遣活動に参加して」と出してご講演をいただきました。
そこには、長期間地道に災害派遣に正面から取り組まれた様子を、プレゼンにまとめてわかりやすく解説していただきました。最近の自衛隊の皆さんが各地で展開される災害派遣を見ていて「自衛隊」を否定する方は非常に少なくなったのではないでしょうか。そして彼らの直向きで地道な活動が世界に認められる日も遠くは無いと確信しています。

2011.9.8(木)夏休みの宝物作品展
2011.9.11(日)羽島郡科学作品展・課題作品展

松枝小学校内での「夏休みの宝物」作品展が開催されました。二日間だけの開催なので見逃すことも多々ありますが、今年は、家内の報告もあり何とか見せていただく事が出来ました。
全体的に科学作品に挑戦する割合が減って来ているように思われます。それを補う意味もあるのか今年からは課題作品と言うカテゴリーも新設されました。
我が家では、長男、次男と科学作品に取り組んで来ました。三男も当然自分もやる物だと思っていたようですが、これがそうは簡単にはいきません。三人三様で、何に取り組むのか、どう展開させるのかは瀬難の技です。だけど、何をするにしても親子で一緒に真剣に過ごす時間こそが「夏休みの宝物」だと、私は信じています。そして今年の三男は羽島郡で入選をいただくことが出来ました。ひとつ彼の自信に繋がる物が増えました。

2011.9.3(土)笠希な集い26
今回で26回目を迎える事が出来た「笠希な集い」です。これも支えて頂ける皆様のお陰と感謝いたしております。特に今回は、台風12号の接近が危ぶまれ、開催そのものさえも難しいと言わざるを得ない状況でした。しかし、進路はかなり西にずれたお陰で、岐阜地区には大きな影響を与えることなく過ぎ去ろうとしています。
今日の「笠希な集い26」の開催についてもお電話で問い合わせを頂きました。もっとも、たとえお一人のご参加でも行う予定でしたので、その旨お伝えすると「是非、行かさせてもらいます」と快いお返事をいただきました。
今回は、通常の議会報告に加え、被災地ボランティアのご報告もさせて頂き、少々時間がかかってしまいました。
次回の開催もよろしくお願い致します。

8月

2011.8.2(火)笠松町営墓地
2011.8.3(木)企画展準備
2011.8.4(木)笠松町歴史民俗資料館「親子で竹細工に挑戦」
2011.8.7(日)ひまわり
2011.8.10(水)中部電力浜岡発電所津波対策の説明
2011.8.13(土)〜14(日)Summer Camp In Kanayama
2011.8.15(月)笠松川まつり
2011.8.16(火)花火清掃
2011.8.21(日)原発 → 金魚すくい → 地蔵尊
2011.8.26(金)ことばの教室訪問
2011.8.28(日)モンプル
2011.8.30(火)笠松町防災講演会

2011.8.30(火)笠松町防災講演会
災害時要援護者支援対策研修会が自主防災会と民生委員の皆さんとで行われ、その中で「防災講演会」としてレスキューストックヤード代表である、栗田暢之 氏を講師に「災害時要援護者と地域防災」と題し講演をしていただきました。
各地での災害ボランティアとしての活動や防災組織立ちあげのお話しなど、何処かの被災地報告ではなく、それを踏まえ「笠松町」では何が出来るかを考えさせられる講演でした。

自宅に帰って来て、ふとご近所の庭先を見ると「椎茸」のかわいいモビールがあります。単なる装飾ではなく、干し椎茸を制作中だったのですが、あまりのもその干し方がユニークだったのでカメラに納めてしまいました。

2011.8.28(日)モンプル
昨年から三男が気づいたのですが夏休みになってすぐにモンキーパークの新聞折り込み広告が入ります。それには入園料金無料のクーポン券がついて来ます。プール入場料500円のみで入ることが出来るのです。「夏休みの宝物」作りが早めに終わったら一緒にいこうねと約束をしました。かなりのがんばりで無事終了となったので同級生家族を誘っての来場です。
小学生を連れて来るには適度な広さと適度な刺激です。来場者の殆どが家族連れで長島の海水プールとは大きな違いが有ります。10時から14時までしっかりプール遊びをし、満足な一日になった様です。
木陰で、井戸端会議に花を咲かせた家内たちとは違って 少々お疲れ気味のお父さんたちは一杯やることで意気投合!!夜には別の家族も合流して友人宅の離れで暑気払いです。もちろん子ども達や家内たちも加わり、大変な騒ぎです。
こうして何のきがねなく、家族全体でつきあえるのは、本当にありがたいと思っています。

2011.8.26(金)ことばの教室訪問
7月25日(月)の岐阜市教育委員会の訪問に始まった9月定例会一般質問の為の現地訪問です。今日は福祉会館内に設置され、社会福祉法人地域振興公社が運営しています「ことばの教室」でお話しをお聞きします。以前からここで運営されているのは承知したいましたし、地域振興公社へは何度も訪問していました。しかし「ことばの教室」の中まで入ってお話しを伺うのは始めてです。伺って見ますと、実に熱心に取り組んでおられるのが良くわかります。そこで隣に有る、北事務所内に設置されている「スマイル笠松」のことをご存じかどうかとお聞きした所、「不登校に関する事で設置されているのは知っていますが実際にどんな活動をされているのかわかりません」とのことでした。
以前訪問した「スマイル笠松」の先生も「ことばの教室」には大きな関心を寄せておられました。就学前のお子さんへの特別支援を行っている「ことばの教室」と教育委員会が就学児童・生徒の不登校への適応教室として運営している「スマイル笠松」。その根底の部分では一部分ではありますが繋がった所があるようです。そこでお互いに往き来し合い、情報の共有が計ることが出来れば、就学後の相談等に都合がようのではないかとご提案をしました。もちろん教育委員会と地域振興公社への事前打診は行っておりましたが、現地で確認し、お会いしていただく事が出来ました。お互いに子ども達への、特別支援を真剣に考えておられる方々なのですぐに意気投合(だったと信じています)でした。
今後のお子さんや保護者の皆さんへの心の支えが、切れ目無く繋がって行くことを 祈らずにはいられません。

2011.8.21(日)原発 → 金魚すくい → 地蔵尊
朝7時から「トンボ池を守る会」でのトンボ池清掃活動が入っていたのですが、あいにくの雨。夏休みの最初からの約束を守る為に、三男を原子力発電所に連れて行く事にしました。
土砂降りの雨の中、敦賀へと車を進めました。三十年前の記憶をたどりながら敦賀ICを降り、数ヶ月を過ごした民宿当たりをさまよいながら、独立行政法人 日本原子力研究開発機構 敦賀本部 原子炉廃止措置研究開発センターと言う呼び名になってしまった当時の動燃の「ふげん」発電所を目指します。ここは日本原子力発電株式会社敦賀発電所の奥にある為、三男に「ふげん」を見せてやることは出来ませんでした。三男は、それでも始めて見る日本原電敦賀発電所の円筒形の原子炉建屋を不思議な眼差しで見ていました。
そこから敦賀半島の反対側に有る、関西電力の美浜発電所へと向かいました。ここの発電所では、放射線モニターの点検校正の仕事をしていました。
もちろんそこでも発電所内部には入れませんがPR館が発電所前にあり、そこに入りました。三男には原子力を理解することは出来ませんが、実物を見たと言う事実だけは残ってくれると信じています。

午後には帰宅後、穴太部神社で「金魚すくい」です。十匹もすくってご機嫌の三男。午後6時には田代の地蔵尊まつりです。彼にとってはご機嫌な1日でした。そして一緒に過ごした時間こそが「夏休みの宝物」だと信じています。

2011.8.16(火)花火清掃
恒例になっています、花火の翌朝午前六時からの清掃ボランティアです。これで12年目の参加になりますが最初は長男から始まって今は、三男の担当です。長男もこの8月に二十歳になりました。
今年は、組み立て式のテーブルが放置してあり、これには三男もびっくりしていました。終了後、夏休みになってからは毎日私のジョギングに付き合ってくれる三男と同じコースをサイクリングです。朝の涼しい風が心地よく、最後に残った三男がいつまで付き合ってくれるか・・・

2011.8.15(月)笠松川まつり
笠松みなと公園一帯で川まつりが開催されました。
午前中は、商工会CAM塾の皆さんと万灯流し舟の準備です。昨年までは、二枚腹の和舟に転覆防止用にドラム缶フロートを取り付けていたのですが、途中でフロートが流される事故が発生した為に、今年はフロート舟と2隻を角材と荒縄で結びつける双胴船の準備をする事になりました。初めての作業で慣れない所も有りましたが、建築業の会員さんに手ほどきを受け、無事終了させる事が出来ました。昼食はアオイキッサのホーシューバーガーを戴きました。同行の三男も喜んで完食です。

万灯舟の準備に行く途中、杉山邸で七夕飾りに気付いた三男「ぼくも書く」と自転車を降り書き出しました。「何かいたの?」と聞くと「内緒!!」と教えてくれませんでした。

昼食後、着替えて笠松競馬場へ急行です。ここで行われる婚活イベントのご案内を頂いたこともあって見学させて頂きました。
県の少子化対策事業としてNPO法人元気木曽川が行う事業で笠松町からも補正予算で補助金が出ています。担当課も確認に来ていました。
かさまつ出会いのイベントとして今年度4回開催が予定される、第一回目です。
笠松競馬場で集合、自己紹介などを済まし、馬券の購入方法などの説明を聞いた後、実際のレースで馬券の購入をします。それからゲームやフリータイムを過ごし夜の花火大会へ行くそうです。参加者殆どが花火まで行かれたとのことで、スタッフもホットしたとの事でした。今後の展開が楽しみです。

19:45からは、恒例の花火大会です。19時頃から芝生に腰を下ろしてカメラの準備と夕食で生ビールです。今年はプロカメラマンの手ほどきを受け、花火の写真も少しは上手くなったでしょうか?
今年の協賛花火は東日本大震災への義援金も含まれており、川島化成有限会社と議会として合計2発分を協賛させて頂きました。
父の供養にこの句を掲載させて頂きました。
「ありがとう 澄し浄土へ 門出かな」 支川


2011.8.13(土)〜14(日)Summer Camp In Kanayama
恒例のSummer Camp です。場所は今年で四度目、3年連続になる「金山の森キャンプ場」です。始めて行ったのは、16年前、次男が生まれる年の夏でした。テント撤収時に強風にあおられ谷底に流されました。キャンプ保険に入っていたお陰でテントは現在の物に更新出来ました。
昨年は、あいにくの雨模様で目の前のせせらぎは濁流と化しすさまじい勢いで近づくことさえ出来ませんでした。今年は好天と穏やかな川に恵まれ、最高のキャップになりました。全ての携帯電話が圏外となるこの地域、下界の喧噪とは全くの孤立、これがたまりません!!

今年のoutdoorcooking は、春同様「豚の角煮トマト風味」を少しアレンジ、野菜をたっぷり入れて一緒に煮込みました。
更に初挑戦は純植物性のチーズです。これは、豆乳を沸騰直前まで温め所にレモン汁を加えると固まるのです。それをガーゼで絞った物です。それに2種類のアレンジを加えます。一つは塩をベースにオリーブオイルでしっとり感を出します。そしてもう一つは、ブルーベリージャムと混ぜ合わせます。これをカナッペにします。子ども達が食べてくれるか心配だったのですが、完食でした。
絞った汁は翌朝の味噌汁になります。
その他は、同行の友人が鳥肉のコーラ煮、お取り寄せの塩ホルモン、キャベツのスープです。みんな分量の選択が上手になり、余ることなくほぼ完食で終わる事が出来ました。

豆乳チーズです。絞り過ぎはぱさぱさのおからです。お気つけて!!
豆乳500mlでレモン汁大さじ2杯が目安です。混ぜ合わせるジャム等を工夫すれば、豆腐嫌いの子どもさんでも食べてくれるも!?

酒の肴に作ったのが、カツオのたたきです。大根おろしの上に青じそふりかけをかけ、そこにカツオのたたきを並べます。ネギ、食べるラー油、中華ドレッシング、ごまドレッシングで味付けをします。これが結構、子ども達にも好評でした。
朝食に作った大根ときゅうりのサラダ、短冊に切った物をビニール袋に入れ、青じそふりかけと旅行の友ふりかけをかけて混ぜ合わせるだけです。これはご飯にも酒にも合います。メインのご飯は、飯ごうで炊く炊き込みご飯です。さけの水煮缶となめたけ瓶詰めを入れて炊き込みます。

帰り道では、岩屋ダムで三男の“夏休みの宝物”づくりの為に寄り道。そしてもう一つ気になっていたパワースポット「 金山巨石群」を見ることが出来ました。書きたいことはたくさん有るのですが、この巨石郡、是非足を運んでみて下さい。本当にパワースポットです。百聞は一見にしかずです。




2011.8.10(水)中部電力浜岡発電所津波対策の説明
臨時議会・全員協議会終了後、中部電力の方が役場4階大会議室で浜岡原子力発電所の津波対策についての説明をされました。
東日本大震災での東京電力福島第1原子力発電所が受けた、津波被害からの事故発生により、原子炉停止要請を日本政府から受けての事で、現在より一層の津波対策を施すとのことでした。およそ1,000億円の費用を掛け来年12月を目標に工事を行うとの事でした。
原子力政策をこのまま続けるのかを議論するには、この国をどの様に導いて行くのかを根本的に議論しなくてはなりません。今までの様に「物づくり」を中心とした技術立国で進めるのか、第三次産業中心にすすめるのか!です。
電力需給や料金、円高等の目先の利益確保のみを優先することが、本当にこの国の行く末に“未来”と言う言葉が有るのでしょうか?

2011.8.7(日)ひまわり
市之枝地域づくりネットワーク協議会の皆さんが毎年行っています。「ひまわり」と「コスモス」畑です。市之枝地域づくりネットワーク協議会HPで沿革を見てみますと、平成14年の設立で、それから様々な活動で地域起こしをされています。これらの努力成果だと思うのですが、マスコミへの露出を始め、たくさんお客様にも来場して頂けるようになったと思います。
我が社の取引先の近くと言う事もあって、たまたま通りがかって「ひまわり」を咲いて入るのを発見、少々遅れてしまったのですが、やっと家内と三男を連れて来る事ができました。写真撮影にはまっている三男は早速の撮影に夢中です。帰りには「ひまわり」を題材に三人で俳句を作りながらの帰宅となりました。
ひまわりが みんな上見て わらってる
三男 でした。

私が「ひまわり」と言えば思い出すは、長男の好きな花で有る事と、さだまさしさんが歌っている「ひまわり」と言う楽曲。しかもさださん本人よりも平原綾香さんがカバーしている「ひまわり」が大好きです。

2011.8.4(木)笠松町歴史民俗資料館「親子で竹細工に挑戦」
歴史民俗資料館、毎年恒例の夏休み企画です。今年は、「親子で竹細工に挑戦」とのことで、三男と一緒に参加して来ました。対象は主に小学生、三年生の三男は低学年コースでブンブンゼミと竹ポックリを作りました。私も竹ポックリは作った事が有ったのですが、ブンブンゼミを作るのは、始めてです。およそ20名程の親子と供にNPO法人竹林救援隊事務局長の潮井聡志先生に教わりながらの体験です。
竹林救援隊とは里山などにある放置竹林を管理し、資源の有効活用をと通して子ども達への啓蒙活動をされています。伐採した竹の有効活用先として子どもとの竹細工体験などの活動も行っています。今回の笠松町歴史民俗資料館もその趣旨に沿った活動と言う事でご尽力戴きました。
竹細工を作っている時の子ども達の輝く瞳は何物にも代え難いと思えます。そこにある∞の未来、その未来の中には希望がなくてはなりません。未来の先が絶望で有る事を“未来”とは呼ばないのだと確信しています。それを行うのは大人の政治の仕事だと考えています。

2011.8.3(木)企画展準備
今秋、10月4日からおよそ2ヶ月に渡って笠松町歴史民俗資料館では企画展として岐阜工業高等学校をとりあげていただけるとこになりました。通称「笠工」の名で親しまれている事、またこの笠松の地にできた事が偶然ではなく必然があってこそ、そこに存在している事は同窓会報49号と50号で特集を組ませて頂きました。また、この特集を来年度高校受験を控えた中学生及び保護者の学校見学の資料としても使って頂きました。
そんなことも有っての事かどうかはわかりませんが、笠松町での母校の企画展には同窓会幹事長としては協力を惜しむ訳にはいきません。もちろん「笠工」の校長先生、教頭先生、更には同窓会長と本部役員の皆さんの同意とご協力のお陰でもあります。
本日は、同窓会本部のある岐工記念館にてポスター作成用の備品の借り出しと校舎と校訓碑を撮影しました。

2011.8.2(火)笠松町営墓地
笠松町緑町にある、町営墓地の備品に「バケツ」が有ります。これは、お墓参りの際に水を入れて行く「手桶」の代わりに使用し、花立てに水を入れたり墓石に水をかけたりするのに使用します。しかし、この「バケツ」の破損や紛失が多く発生していました。これを無念に考えられていました町民の方から2年続けて「バケツ」を10個ずつ寄付して戴いておりました。ご子息を亡くされ、墓参の機会が増えたのがきっかけですが、その心遣いに感謝いたしておりました。今年もすでに「バケツ」を戴いていたのですが、更に「ひしゃく」の10個ご寄付いただきました。その「ひしゃく」を持って担当課まで伺いました。

本日は、火曜日と言う事で、7月4日から始まった「クールビズで「道徳のまち笠松」推進日」に当たります。オレンジのTシャツを身にまとい、執務にあたっておりました。

丁度、17:15頃でしょうか、消防車のサイレンがけたたましく聞こえて来ました。4階の議会事務局の窓からベランダに出てみると、上本町に消防車を発見。少し、きな臭さを感じ心配したのですが近くにいました消防団にの方に確認したところ「焚き火」による誤報とのことで安堵したのです。確かに消防車は到着していたのですが本署の炎上サイレンが無かったので大きな火災ではないとは考えていました。こうして消防団員の皆さんが後方支援や交通整理などの手助けがあって、消防署員の方が迅速に手早く消火活動に専念できるので有ると考えています。消防団へのご理解とご参加をお願い致します。

7月

2011.7.2(土)第1回 松枝小学校学校評議員の会
2011.7.9(土)かさまつ知りたい会「もっと知りたい原発の事」
2011.7.10(日)北野神社清掃活動
2011.7.15(金)メダカ
2011.7.16(土)DELL Latitude X300
2011.7.16(土)大賀ハス
2011.7.17(日)笠松トンボ天国・親子探検隊
2011.7.18(火)安藤岐阜市教育長
2011.7.21(木)夏休み企画「竹工芸にみる童話の世界」
2011.7.21(木)岐阜工業高校同窓会常任幹事会
2011.7.22(金)公民館運営審議会
2011.7.24(日)夏休みの宝物Vol.1
2011.7.28(木)〜29(金)ほうせんか
2011.7.31(日)笠松町Eボート大会中止

2011.7.31(日)笠松町Eボート大会中止
今年度の目玉事業として計画されました、「笠松町Eボート大会」ですが、上流付近で降った雨の影響で中流域である笠松地区での木曽川の水位が上昇。流速も早く、危険であるとの事から中止が決定されました。前日の宴会の影響で少々、起床が遅くなった事も有って、自宅から出発するまでその事を知りませんでした。ついでのことも有って、現地まで木曽川の状況を見て来ました。
水位の上昇は思った程でもないのですが、流石に流速は早く、レースを行えば戻って来られないとの判断も当然だと感じられました。現地では、すでにテントの撤収が始まっていました。

そこで、国土交通省の水文水質データーベースを検索してみました。グラフにしてみましたのでご覧下さい。
7月31日の午前1時〜8月1日24時までの期間をグラフにしてみました。青線が笠松観測点、赤線が犬山観測点です。


犬山の頭首工のピーク水位が笠松のピーク水位になるのに2時間程度の時間差があるのがわかります。これが更に水位が高く流速が早くなると1時間程で笠松に到達します。こうした情報が、国土交通省を検索しなくても、笠松町HPからリンクがあると便利だとおもいませんか!!


2011.7.28(木)〜29(金)ほうせんか
朝、ラジオ体操から帰って来た三男が泣いています。訳を聞いてみると、夏休みのため、学校で育てていたほうせんかを自宅に持って帰って来て育てているのですが、そのほうせんかの花芽が切り刻まれているのです。更には、葉も引きちぎられ無残にも散乱しているのです。三男をなだめ、散らかった葉を片付けた後、道路沿いに置いた有った植木鉢を私の車の影になるように置きました。
翌朝、そのほうせんかが再度引きちぎられているのです。およそ、一般的には人が通ることの無い場所です。流石に二日続けての悪行には、三男の悲しみは深く影を落としてしまいました。今度は、周りの家に囲まれた小さな裏庭へ移しました。まるで三男の、ほうせんかで有る事を知ってかのような行いに、これ以上の手はありませんでした。以前にもめだかが流されたり、ホテイアオイが引きずり出されたりしたことがありました。メダカやフナ、ドジョウはすぐに近くの水路で捕獲してきます。最近では、依頼されて捕獲に走ることも度々です。
ほうせんかと言えば、私が直ぐに思い浮かべるのは、中島みゆきさんが6枚目のシングルとして1978年8月21日リリースした、おもいで河のB面に挿入されていた曲です。東京の会社へ就職し、制御技術研修所に通勤しながら寮生活を送り、大阪支店での現地実習に入った頃の曲です。今から思うと、とても光り輝いていた時代の様にも思えるのですが、実際には仕事への漠然とした不安に加え、誰もが知っている巨大プラントを目前に足がすくむ毎日を送っていた事を思い出します。

真夏の神戸、御影にある清酒工場での定期点検を行っていました。大手酒造メーカーそこは、清酒の売り上げの落ちる夏場に設備の定期点検を行っていました。年中清酒の仕込みを行う為に、工場内温度はかなり涼しい・・・と言うよりも“寒い”位の気温でした。30℃を超える外気温との間を出入りしているうちに体調を崩してしまいました。現地実習の緊張感と初めての大阪暮らしで激やせ、4月から比べおそらく20Kgは減っていたと記憶しています。そんな私に染みこんで来たのが中島みゆきさんでした。

2011.7.24(日)夏休みの宝物Vol.1
今年も夏休みが始まりました。長男は大学生、次男は高校生。残されたのは三男の小学三年生のみです。今年も名古屋市科学館電気の科学館からスタートです。
彼の宝物づくりの物語はこうです。
一年生の時に「おばけえび」の研究をしました。これは科学雑誌の付録を利用したのですが、最初は水槽の水が腐敗し死滅してしまいました。最終的には再度、ふ化させて観察はできたのですが水が腐敗した事にショックを受けたのです。そして二年生では「水槽の水が地球の空気だったら・・・」と考え、空気を汚さないエネルギーを研究することにしました。そして電気ポケモンの研究をし、ぐるぐる発電機で発電実験まで行う事ができました。どちらの研究も羽島郡の科学作品展には出品されませんでしたが、「シゼコン」へ出品して頂きました。
今年は「電気ってな〜んだ パート2」です。ぐるぐる発電機とモーターの中身を調べてみます。更にはぐるぐるしないで発電する方法も触れられたら良いと考えています。
何はともあれ、夏休みを一緒に過ごし、考える時間が「夏休みの宝物」だと考えています。

2011.7.22(金)公民館運営審議会
今年で四年目を迎えた公民館運営審議会委員です。今回は平成23年度第1回ですので新たに委員の皆さんへ委嘱状が渡されました。現在の問題点として生涯学習講座と中学生のボランティア参加の実態の事です。ほぼ2時間真剣な議論をさせて頂きました。終了後も担当課と意見交換をさせて頂きました。その後、幼保一元化に付いての対応を伺いに行きました。

2011.7.21(木)岐阜工業高校同窓会常任幹事会
年間3回行われる常任幹事会ですが、今回は23年度第1回目の開催です。5月に行われました同窓会総会の報告が行われ、チケット販売1200枚、入場者数600人との事です。最終的には90万円余の剰余金を生み出す事になりました。それを同窓会長に総会実行委員長が手渡しました。これらの予算で「ものづくり支援事業」や「部活動支援事業」として在校生達の活動に役立ててもらいます。そして結果を出す彼らの活躍が、学校のそして同窓生の“誇り”に繋がって行きます。

2011.7.21(木)夏休み企画「竹工芸にみる童話の世界」
笠松町歴史民俗資料館では、夏休み企画「竹工芸にみる童話の世界」を開催されています。 孟宗竹を使用して、日本昔ばなしやイソップ物語の情景を再現した作品28話と昆虫標本など27作品が並べられています。
伺った時には丁度、作者である岐阜市在住の岡本定男さんがお見えになっており、お話しさせて頂きました。92歳のご高齢を感じさせないお話しぶりよりもその作品から感じられる輝きには圧巻です。
楽しいクイズラリーもあり、一緒に行った三男は夢中でした。皆さんも是非足を運んでみて下さい。
10月には岐阜工業高校の企画展も予定されています。

2011.7.18(火)安藤岐阜市教育長
毎回、ご案内を頂きながら欠席を続けて数ヶ月経ってしまいました。今月のお客様は岐阜市教育委員会教育長 安藤征治 先生です。「これからの教育について」と題しご講演をいただきました。
至不の体験が足りないと言うお話しです。不足・不自由・不安・不便と言った体験がなさ過ぎる、それが大人になる事への弊害ともなっているとの事です。そこで東日本大震災での体験は、それでも子ども達にとっては過酷過ぎる。そんな彼らの事が良く解るのであると「つなみ」と言う書籍をご紹介頂きました。私も早速アマゾンで注文させて頂きました。
そしてもう一つ、「チューインガム一つ」と言う3年の村井安子さんの詩を紹介して頂きました。万引きをした彼女と向き合った灰谷健次郎の話です。温かいお人柄に触れさせて頂きました。次回のお約束をしてお別れしました。

2011.7.17(日)笠松トンボ天国・親子探検隊
今年も夏休み前の日曜日、トンボ天国探検隊が開催出来ました。親子合わせて35名の参加を得て、柴田佳章先生のお話を聞きながらトンボ天国の探検の始まりです。
ここは、昭和48年頃に堤防直下にある為に埋め立てが計画されました。しかし、多種のトンボの生息が確認されただけではなくムスジイトトンボと言う貴重種の生息も確認され、柴田先生を中心に保存運動が展開されました。更に将来、埋め立てが必要になった時にトンボたちをスムーズに移す調査の為に「造成池」が作られ、調査が行われました。今年は、下羽栗小学校最初のプール掃除を行った時に“やご”およそ1,000匹を捕獲、それをトンボ池に放流した事がも有って、例年になく多くのトンボが捕獲されました。しかし、池の周りの藪を伐開した事で、日陰を好むモノサシトンボが減少したとの事です。人の暮らしの安全・安心を担保しながら自然環境の保全を行う事の難しさを実感しました。
それでもトンボなどの昆虫を捕まえては、はしゃぎ廻る子ども達の姿をこれからもずっと見られる事を望む事に替わり有りません。そして子ども達より夢中になる親が増え続ける事を祈っています。

2011.7.16(土)大賀ハス
昭和26年に千葉県で大賀一郎博士がハスの種子三粒を発見、昭和27年にそのうち一粒から発芽しました。
羽島市はれんこんの生産地で有る事から、昭和54年の市政25周年と東海道新幹線開設15周年の記念事業として千葉市より譲り受け増殖したとの事です。
昨年は花の付が思わしくないと新聞で報じられ、手入れをされているのをよく見かけました。今年は期待通り、大輪を咲かせています。三男を連れて、そんな古代浪漫の話しをしながら見学に行って来ました。誕生日プレゼントのカメラ片手に大きな花と葉っぱの手触りを確かめています。帰りには地元で取れた三男の大好物である、きゅうりをお土産に買って帰りました。

2011.7.16(土)DELL Latitude X300
2003年頃にDELLから発売された、B5小型軽量ノートパソコン。2005年の夏に新古品として我が家にやって来ました。昨年、余りの反応の重たさにメインメモリーを1Gまで増設し快調に動作していたのですが、突然のブルー画面。よくよく調べてみると、HDDの不具合ではないかとの事です。すでにX300で使われているIDEのHDDの入手は容易ではなく、ネット通販に頼る事になりました。先日やっと届き、友人に依頼し、交換してもらいました。実に快調に動作します。
XPのサポート提供期間の2014年4月まで、元気に働いて下さい!!

2011.7.15(金)メダカ
我が家では、屋外水栓脇の亀の中でメダカを飼っています。6月19日まで元気に泳いでいたメダカは昨秋三男が近所の水路ですくって来たメダカです。一冬を越し、元気に育っていたのですが6月19日浮いていたホテイアオイが横にあるプランターの上に投げ捨てられており、亀の中にはメダカが見当たりません。だれが何の目的でこの様な事を行ったのか判りません。取り敢えずホテイアオイを元に戻し、今日中を覗いて見ました。そしたら・・・小さな・小さな命が泳いでいます。一冬超したメダカがホテイアオイの根に産卵したのでしょうか?それが孵ったのなら、キセキです。

2011.7.10(日)北野神社清掃活動
氏子役員をさせて頂いています、北野神社、夏の恒例事業の清掃活動です。今年も多くの氏子の方がお手伝いに来て下さいました。9時からおよそ一時間で境内の草刈り事業は無事終了しました。こうして草刈りをしていていつも思う事が有ります。それは人間とそれ以外の生物との共存・共栄の事です。草刈りなとしないで、コンクリートで固めてしまえば草刈りの手間も枯れ草火災の心配も無くなります。現に別の神社では木を切り倒し、コンクリートで固めてしまいました。当然、草も生えず、草刈りも必要ありません。でもあんなにうるさかったセミが全くいなくなりました。田んぼを埋めれば、カエルの声を聞けなくなるのです。人間の都合と生物全体としての都合・・・これの共存が最も重要なのだと考えています。これも「判断基準は未来」で有るべきなのです。
こんな事が「劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール アルセウス 超克の時空へ」のテーマだったのだと気付きました。「未来からの手紙」である子ども達に伝わっている事を祈念します。

2011.7.9(土)かさまつ知りたい会「もっと知りたい原発の事」
「笠松を語り継ぐ会」の皆さんが主催するかさまつ知りたい会が杉山邸で開催されました。今回のテーマは東日本大震災の発生により、大事故に進展した東京電力福島第1原子力発電所の事を中心に、日本の原子力政策の歴史や今後の新エネルギーへの展開などを勉強しました、
私は、某電機メーカーの技士として現)独立行政法人 日本原子力研究開発機構 敦賀本部 原子炉廃止措置研究開発センターである、当時の動力炉核燃料開発事業団 新型転換炉 実験炉 ふげんの第3回定期点検に関わっており、その時の状況や感じた事などをお話しさせて頂きました。それらの実体験を基に、今回の事故を受けての今後の展開に関して個人的意見を、お話しさせて頂きました。
また、みなと公園では、ツナガリフェスティバル実行委員会主催の「tunagariマーケット」も開催されており、こちらともコラボレーションされていたようです。
安心して暮らしていく事は、最重要・最優先項目で有るのは当然ですが、そのために新しい技術にためらっていては前に進む事が出来ません。この国の行く末に電力エネルギーの持つ意味は余りにも大きいのです。今を判断材料にし続けた結果が今を生み出しています。「判断は未来を」が基本だと考えています。


2011.7.2(土)第1回 松枝小学校学校評議員の会
平成23年度第1回目の松枝小学校学校評議員の会が開催されました。今回は最後にPTA講演会として「ヨコミネ式教育白書 すべての子どもは天才である」と題し通山保育園理事長 横峰吉文 氏をお迎えしておりました。
校長室で校長先生からの報告をお聞きしたあと、評議員全員から意見を述べ話し合いが行われました。その後、授業参観、講演会と続きました。
評議員の会で話し合われた事は、学校通信である「まつっこ」に掲載され全校児童を通じて保護者へ報告されました。

学校評議員会で貴雲なご意見をいただきました
 今年度、第1回目の学校評議員会を行いました。評議員の皆様からは、学校の取組についてご理解をいただくと共に、今後の方向についての貴重なご意見をいただきました。その主なご意見をまとめました。
・元気に登下校している子どもの姿がとてもよい。
・教科書が変わり、考える授業が多くなったのではないか。
・読書に力を入れて指導されているが、量よりも質を大切にしたい。
・大震災を踏まえ、あらゆる想定を考えた訓練が必要ではないか。
・自主防災の組織が町であるが、訓練の内容を考えていく必要がある。
・小学生による万引きなどの問題行動が増加傾向にあるようだ。(低年齢化)
・春の運動会はPTAやボランティアの方の協力でよくできた。
・あいさつをもっと地域に広めていくとよい。
・ハンドボールの全国大会出場をもっとPRするとよい。
ご意見をもとに、
・教科書をもとに、一人一人にきちんと力が付く指導をする。
・町の危機管理マニュアルを踏まえ、学校としてのマニュアルを作成していく。
・あいさつは家庭・地域・中学校と連携しながら、繰り返し指導していく。
などを中心に取り組んでいきたいと考えています。

その後、授業参加では、三年生の書写の授業を拝見しました。実に自由にのびのびと習字に取り組んでいました。私も三男の手を取って「大」の字を一緒に書きました。こんな授業は私たちの頃には無かったと思います。

横峰吉文先生のお話は、実に明快で解りやすいお話しです。先生のお言葉をお借りすれば「ひとたび本気で取り組んだら、とことん集中力を発揮し、どこまでも伸びていく!いかに「やる気のスイッチ」を入れるか」その「やる気スイッチ」を探す旅は、親だけではなく子ども自身も、真剣に旅している気がします。それをどう見つけてあげられるかです。探している事を認めてあげられるかが親の問題だと考えました。
講演会の企画をありがとうございました。

6月

2011.6.3(金)羽島郡議員総会
2011.6.8(水)私のコレクション 大竹庸元「中世のかさまつ物語」
2011.6.11(土)怒濤の始まり
2011.6.11(土)〜13(月)はまセン
2011.6.15(水)土木遺産
2011.6.19(日)父の日・結婚記念日・三男誕生日
2011.6.21(火)笠松町長選挙
2011.6.26(日)少年の主張大会と夏の思いで

2011.6.26(日)少年の主張大会と夏の思いで
第33回少年の主張大会が笠松町青少年育成町民会議/青少年教育部会の主催で中央公民館大ホールを利用し、開催されました。私が少年の主張大会を拝見する様になって早、10年以上になります。毎年彼らの主張を聞くのが楽しみになっています。
私は、子ども達こそが「未来からの手紙」だと感じています。今回の主張もまさに、「未来からの手紙」そのものでした。小学生も中学生も現状の社会・自分・家庭・学校を分析し、そこから新しい目標、夢を見つけ出しています。そしてその夢に向かって進むべき具体的方法、方向を示しています。それは彼らの未来を指し示しているに違いなく、そこにいる彼らこそが「未来」を作るのですから・・・

最優秀に選ばれた、中学生、男子女子の主張をお聞き下さい。

お昼ご飯を急いで済ませ、午後からはコンサート?です。
笠松を語り継ぐ会主催の「歌と絵画のつどい/夏の思いで」高木純バリトンコンサートです。夏の思いで、夏は来ぬ等、夏を連想する曲を松本晶子先生の伴奏に合わせ、高木純先生がバリトンで歌唱。その曲に併せ、萩原文美子先生が即興で絵画を描き挙げます。すでに何度かのコラボレーションを実践されていますので、ご覧になった方にはすぐに理解頂けるのですが、取り敢えずこれをクリックして体験してみて下さい。その不思議で和む雰囲気は伝わったでしょうか?
萩原先生は、私の家のすぐご近所でした。「こうちゃん」と呼ばれ、とても懐かしい、そしてお世話になった先生ですが、こう言ったコンサートが有るまで美術の先生で有る事を意識した事は有りませんでした。そしてその、不思議で心和むタッチは、このバリトンとのコラボレーションに、実に合います。それは、私自身がもつ先生へのイメージにです。一度ご覧になって下さい。

動画サイトへの投稿は、高木先生にご承諾を頂きました。

2011.6.21(火)笠松町長選挙
四年に一度の笠松町長選挙が公示され、廣江正明候補以外の立候補が無かった事で、無投票当選が届出の〆切の17時をもって決定しました。4月に行われた県議会議員選挙と共に、二つの選挙が続いて無投票当選となった事は、未だかつて無かった事だと思います。事実、それは平成3年(1991)に火ぶたが切って落とされた。この20年の間に多くの犠牲と妥協、無念といらだち。その結果がこの二つの選挙に集約されていると想うと、時の永さと移ろいを感じずにはいられません。戦いは戦いを生むだけで有ると考えています。悲しい事に戦ってみないと判らないのです。


2011.6.19(日)父の日・結婚記念日・三男誕生日
6月は我が家にとって多くのAnniversaryが有ります。以前、それはすでに20年以上前の数年間は、川島家にとって恐怖の6月だった時期が存在しました。
今年の父の日には、三男が手作りで小物入れとペン立てを作ってくれました。こうした物を三男が作ってくれたのは初めての事です。
17日は結婚記念日。今年は忘れることなく無事迎える事が出来ました。21回目になりました。
そして最後が25日の三男の誕生日。「何処に行きたい?」というと「遊園地!!」とひと言。「何処の遊園地?」と問い直すと、「モンキーパーク」と即答です。未だに遊園地に行ける事に感謝するのですが、アルバイトのお姉さんに「お孫さんですか」のひと言にかなりの落胆を覚えて帰宅する事になったのですが、三男の元気な笑顔に帳消しにする事にしました。なんと言っても今回のモンキーパークでの収穫はハイウェイコースターと言う“大人”のジェットコースターに乗れた事です。少しずつお兄ちゃんになって行きます。一番のお気に入りがカード迷路 ぐるり森大冒険・二番がキャニオンスプラッシュモンキーコースターです。そして最も嫌なのがモンパ君のお化け屋敷です。

2011.6.15(水)土木遺産
2011.5.29(日)トンボ池を守る会総会時に土木遺産登録に付いてお知らせしました。本日、岐工記念館で行われました同窓会総会会計監査が行われ、土木遺産の資料を調べてみました。そこで判明した事は、模型は「大聖牛」ではなく、「胴木牛」/三角枠であったことと、その事を昭和4〜5年に使用していた土木施工法の手書き教本が残されていた事です。早速、馬場さんに写真を添えて報告致しました。地元トンボ池に残された「大聖牛」の土木遺産登録に少しでも地元の学校として貢献出来れば幸いに考えています。

2011.6.11(土)〜13(月)はまセン
6月11日(土)20時頃笠松を出発し、東海北陸道→北陸道→磐越道→東北道を利用し小泉浜災害ボランティアセンターに到着が6月12日6時頃。災害ボランティアセンター前の道路で仮眠と休憩をし、朝食を取る。7時頃に受け付け、8時頃から作業説明とグループ分けの後、届けられたペットボトル水をトラックから移動を行う。9時頃から作業場所、名足地区に向けて移動の準備を行い9時半頃から作業を行う。場所は南三陸町名足地区名足郵便局近くの民家(漁師宅と思われる)。津波で倒壊した家屋の解体と6種への分別作業。12時頃に災害ボランティアセンターに戻り、昼食と作業終了式を一時間程行う。その後、名足に戻り16時まで作業を行いました。分別作業を終わらせ16:30頃、岐阜への移動開始、13日午前3時半頃到着。これが一日だけのボランティアの工程です。
実際の解体・分別作業の進捗状況は下記の写真を参照して下さい。左から作業開始時の9:30頃の写真・中の写真は、昼食に向かう時の写真12:00頃・右の写真は作業終了時の写真16:00頃です。およそ35人の共同作業を行い、津波で破壊された一軒家を解体・分別するのに要した時間はおよそ5時間でした。

昼食時には、小泉浜地区の作業終了式が行われ、そこで挨拶された、岐阜県議会議員であり、小泉浜ボランティアセンターの責任者でもある川上哲也氏の言葉の中に避難所運営のヒントが詰まっているように思われました。


現地に向かう途中で気が付いた事が有ります。北上川左岸堤を走っている時の事です。場所は宮城県石巻市相野谷付近、所々で北上川を溯った津波が堤防を乗り越え、水田にまで達していた事です。そこで「あ!!」と気が付いたのですがいかにも堤防が貧弱なのです。帰宅後北上川について調べて見ました。木曽川と比較してみます下記の様になります。

延長距離・平均水量、更には流域面積では二倍に近い数値で北上川の方が上回っています。ただひとつ、木曽川が大きく上回っているのが、水源の高さです。これは、木曽川の方が6倍以上高いのです。そもそも北上川より数十キロ長い支流である松川の源流の高さでも1,613mなのです。こちらでも木曽川の方が800m以上高いのです。これが堤体の大きさの違いなのでしょうか?
以前、北海道標茶町を訪れた時も、役場のすぐとなりを流れていました。担当者に「治水についてはどうなっているのですか?」と聞いた事があります。「入庁して30年になりますが一度も川のはん濫の心配をした事が有りません。北海道の川は高低差が無く、激流になる事はない上に基本的に台風の影響を受ける事はまれです。」とのことでした。
気仙沼・南三陸町の沿岸部に行くと「○○地震の津波の到達点」とか「津波の時の避難場所」と言った表示や看板が目に付きます。笠松あたりで「○○豪雨の時の水位」などの表示に似ています。
ここで言えるのは、私たちの住むこの地域が、いかに川のはん濫に苦しめられて来たかを物語っています。その苦しみが頑丈で巨大な堤防を欲したのかも知れまさせん。更には沿岸部で「津波」に関する表示や啓発看板があれだけあってもたくさんの方々が死亡・行方不明になっているのです。東日本大震災での死亡・行方不明の総数は笠松町の全人口に近い数値です。ですから私たちの所で津波の心配は希薄だと思うのですが「川」を甘く見てはいけないことを示唆している気がします。

2011.6.11(土)怒濤の始まり
4月22日に青井さんから協力の依頼を受けた「みんなともだち Tunagari フェスティバル」 。6月8日には打合せにも“うっかり”参加させていただいて・・・
5時に起床、結構な雨が降っています。今日は休止かなと思い、うたた寝をしてしまいました。7時に再度起きて、気になってみなと公園に行って見ると、準備の真っ最中です。急いでバンド出演の皆さんの休憩所であるドームタープを設営、降りしきる雨の中駐車場整理に走りまわりました。雨の中フリーマーッケットの準備をして来られた方も「雨、やみますかね〜。やっぱり帰ります」と出て行かれる方も・・10時のイベント開催時間を待って駐車場整理をあがりました。昼頃までには雨も上がり三男を連れて一参加者としてみなと公園へ行ってみると多くのお客さんがいます。かさまるくん・かさまつちゃんの登場に子ども達に大喜びです。次回に期待が持てるイベントです。次回には笠松町内にも広報出来ると更に良いです。

夕方からは、笠松中学校3年C組の同窓会です。当時の担任であり、昨年度までの羽島郡二町教育委員会教育長であられた「小島理生先生の古稀を祝う会」がホテルグランヴェール岐山での開催です。3-C44人中20名の出席です。懐かしい!?と言っても結構イベントも多くて、おなじみの顔・かお・カオです・小島先生は教育長を退官して以来でしたので少々懐かしい気も・・・退官後、運動や食事に注意され、本巣のご自宅から谷汲まで徒歩で往復される程にお元気な様子をお話し下さいました。こうして集まれる事に「感謝」です。幹事の皆さん本当にありがとうございました。

小島先生には、各テーブルを廻って頂き、記念撮影をしました。例によって撮影係を仰せつかった私としては、抜かりの無いようにしたのですが少々心配です。17時半から受け付け開始で、「あ!!」と思うまに19時です。これから東日本大震災のボランティア活動の為にzero泊3日の怒濤の旅路です。後ろ髪(無いか!!)引かれる想いで会場を後にしました。

2011.6.8(水)私のコレクション 大竹庸元「中世のかさまつ物語」
歴史民俗資料館では、「私のコレクション 大竹庸元「中世のかさまつ物語」」を6月7日〜26日まで開催されていました。
私は、8日に伺ったのですが、鎌倉からの笠松の成り立ちが、詳しく解説されていました。特に地元の田代のこと。蓮台城には懐かしい思い出があります。私がまだ保育園に通っていた時、丁度田代に転居して間もない頃です。父に手を引かれ、白髭神社の境内にある蓮台城の礎石や布目瓦の事を、訳もわからず聞かされた事を忘れる事が出来ません。展示を見ながら父を思い出してしまいました。

2011.6.3(金)羽島郡議員総会
第55回羽島郡町村議会議員総会が笠松町役場4階の大会議室で開催されました。私が最初に総会に参加させていただいたのは第44回からでした。その時の基調講演には、岐阜県副知事大野慎一様により「21世紀型地方自治について」の講演をお聴きし、その内容を「自分たちでどう財政を作り出すかがこれからの地方自治のテーマである。」と記しています。そして今回は山本岐阜新聞編集局長をお招きし、東日本大震災を受けた事での講演をお聴きしました。岐阜新聞として取材や現場での経験を活かしたお話しに耳を傾ける事が出来ました。
総会終了後には山本氏もご一緒に懇親会を行い、忌憚なき意見交換ができた事に感謝致しております。

5月

2011.5.3(火)〜4(水)camp2011/spring
2011.5.5(木)こどもの日
2011.5.8(日)岐阜工業高等学校同窓会総会
2011.5.14(土)笠希な集い25
2011.5.15(日)かさまつ文化フェスタ「和」
2011.5.16(月)議案説明とボートピア問題
2011.5.19(木)日本画・油絵 母娘コラボ展
2011.5.25(水)陸前高田市へ保健師派遣
2011.5.26(木)笠松町商工会総代会と笠松町老人クラブ連合会余技作品展
2011.5.29(日)トンボ池を守る会総会
2011.5.31(火)平成23年度笠松町立松枝小学校運動会

2011.5.31(火)平成23年度笠松町立松枝小学校運動会
今年から春に行う事になった運動会。本来なら5月28日(土)に行われる予定でした。台風2号の接近により平年より早く梅雨入りしたお陰で今日まで延びてしましました。それでも台風一過、秋のようにさわやかな夜明けとなったのです。そして春になった運動会は、新年度の新しい学級づくりに一役買った様です。児童会スローガン「出し切れ全力、心ひとつに まっつこたち」を実践する運動会でした。特に応援合戦では短い練習時間を乗り越えたすばらしい演技を見ることが出来ました。総合優勝は赤団でしたが、応援合戦は、白団413点・赤団413点の同点優勝、仲良く優勝トロフィーを受け取ったのです。

2011.5.29(日)トンボ池を守る会総会
平成15年2月の「わいわいフォーラム甦るかトンボ天国」がきっかけで同年3月に「トンボ池を守る会」最初の総会を開いてから今年度で9回目の総会になります。会員皆さんの活動により、ビオトープとしての環境整備が具体的に進んで来ました。その報告が行われました。
興味深いところでは池の主も発見?されたとの報告もありました。土木遺産として登録まで後一歩まで来た「聖牛」の事なども報告され、着実にその成果を確信することが出来ました。「聖牛」で思い出したのが岐阜工業高等学校同窓会の事務局がある岐工会館にはその「聖牛」の模型が有る事です。多分、今は無くなってしまった土木科が授業で使った物でしょうか?その話しを報告して頂いた馬場さんから資料が有ったらお知らせ下さいとのお話しを頂きました。

2011.5.26(木)笠松町商工会総代会と笠松町老人クラブ連合会余技作品展
今年の総代会では役員改選が行われます。私は、選考委員に選出されていました。これまでに3回の委員会を経て、今日の総代会の前に最終委員会を開催し、総会へ提案する事になっておりました。様々な問題があった様ですが、予定通り提案が出来る事になり安心しました。
委員会が終了し総会が始まるまで1時間も時間が空いてしまい、すぐお隣の笠松町福祉会館で開催されている、笠松町老人クラブ連合会余技作品展を拝見して来ました。毎度の事ながらその作品の質の高さには驚かされます。数の上でもご夫婦で15点もの力作を出品されたのもありました。しかし、どうも例年に比べ淋しい気がしたのでお聞きした所、「少なくなったね」との事でした。調べてみると昨年は172点でした。今年頂いた資料によりますと144点でした。老人クラブの方に聞いて見ますと「文化フェスタにたくさん出品するからね」との事でした。以前は、私の母も何度か出品していたのですが最近はしません。理由を聞いて見たいと思います。

2011.5.25(水)陸前高田市へ保健師派遣
東日本大震災の被災地支援として岐阜県から当町保健師の方が派遣されました。派遣先は陸前高田市でそこでも活動内容や地域の様子をお聞きしました。これらの経験は、笠松町が大規模災害に被災した時だけではなく、日常の活動の中で活かされて行く事で有ることが報告から聞き取れました。また、報告の途中で言葉が途切れる事があり、その様子から受けた衝撃の強さも受け取る事が出来ます。行政との連絡に毎日「広報りくぜんかただ」と言うA4両面印刷の物を使っているとの事でした。早々にHPで確認する事も出来ました。町としても多くの事を学ぶことが出来ると思います。
お土産に、津波でも流されなかった一本松をモチーフにしたクッキーを頂ました。
一人でも多くの皆さんが参加する事で意識改革に繋がって行くと思います。

2011.5.19(木)日本画・油絵 母娘コラボ展
どんな時でも絵が心のささえに・・・・・!
母娘主義主張が違っても目指す所は同じ・・・・・!
初めての母娘展です。

と、ご案内を頂きました。
米寿になった母とその娘のコラボ展。そのすばらしい絵画展を是非ご覧下さい。

2011.5.16(月)議案説明とボートピア問題
平成23年第2回定例会、提出案件の説開会が行われました。議案が少ない事もあり説明そのものは40分程で終了しました。
ボートピア(場外舟券売り場)の誘致要望が地元町内から出されている岐南町。議会では特別委員会を設置して協議を行っていると聞いています。
笠松競馬の構成団体として、笠松町議会の立場を明確にする事が必要で有ると考え、笠松町議会で検討された、「競艇場外舟券売場建設計画に反対する決議」に賛成する事にしました。笠松町議会では全議員の賛成をもって岐南町役場に手渡しに行くこととなりました。
笠松競馬の存続に疑問を持つ町民が多く存在するのは理解しています。それと同時にボートピアの設置が競馬に与える影響が決定的になるとも考えています。本当に必要な議論は、何の為のボートピア設置要望かです。これは岐南町のまちづくりの問題ですから、外野から口をはさむ問題ではありません。
ただ、笠松競馬の運営母体、岐阜県競馬組合の構成団体は、岐阜県、笠松町、岐南町で有り、管理者が笠松町長、副管理者を岐南町長が受けている事への責任が有ります。更に多くの両町民が直接・間接に競馬に関わり、その存続に血の滲むような苦労をされていることを考えなくてはなりません。




反対集会のご案内は、頂きました。
賛成集会のご案内も頂きたいと考えております。


2011.5.15(日)かさまつ文化フェスタ「和」
笠松町文化協会主催のかさまつ文化フェスタが5月15日(土)16日(日)の両日に渡って、笠松中央公民館で行われました。
今年のテーマは「和」それにちなんだ作品が、日頃の成果を競うように並べられました。その力強い作品に感動しました。
ステージイベントでは、私が訪れた時には、大正琴すずらんの皆さんによる「燃えよドラゴンズ」の演奏と花柳流の合同舞台が行われていました。

2011.5.14(土)笠希な集い25
今回で25回目の「笠希な集い」、川島功士後援会議会報告会です。今回のスペシャルゲストは、この6月に4期目の選挙を控えた廣江町長です。今までは、一度も来て頂く機会が無いままに25回目を数えるになりました。私の後援会幹事長から選挙のお願いをさせて頂きました。
また、2期目の選挙を無投票で勝利した田中県議も駆けつけていただく事も出来ました。
今後に繋がる貴重な25回目になったと確信致しました。ご参加頂きました皆様、本当にありがとうございました。

2011.5.8(日)岐阜工業高等学校同窓会総会
先日、4月12日の常任幹事会で幹事長に推挙頂いて初めての総会です。今までは、伊藤幹事長の後をチョロチョロとしている間に終わって行ったのですが今回はそうは行きません。総会の司会進行や講演会、懇親会と当番年次の実行委員の皆さんが、そつなく実行してくれるのですがそれら全体を見回す事の大変さを知りました。つまり、伊藤幹事長の偉大さを痛感したのです。
今年の講師は、戦場カメラマン渡辺陽一 氏です。今回、売れたチケット枚数は1,171枚、入場者数が594人、と言う事は50%を超える出席率です。500人を超えるのは平成12年以来の11年ぶりのことです。これも渡辺陽一氏のお陰だと考えています。講師の選定が入場者数に直結する実例です。
5月18日には平成24年度の準備を副幹事長と供に始めます。来年の当番年次は、昭和52年・60年卒の皆さんです。130枚の招待状を送ります。心当たりの方で葉書が届いた方は、是非協力をお願いします。

2011.5.5(木)こどもの日
一昨日、昨日とキャンプに行って来たので「こどもの日」として我が家では特にイベントはありません。ただ毎年恒例になっている菖蒲湯に入ります。菖蒲の葉をはちまきに写真を撮るのも、長男が小さい頃からの我が家の、大切なイベントのひとつです。今年も三男と一緒に菖蒲湯に入り写真が撮れたことが最大の喜びです。もう一つ、家内と三男が鯉のぼりサラダを作りました。

2011.5.3(火)〜4(水)camp2011/spring
恒例の春のキャンプ。マキノサニービーチ 知内浜オートキャンプ場で春のキャンプを楽しむようになって何日目になるのでしょうか?この見聞録には2006年から毎年掲載しています。今年は、四家族14人の集合です。年代と供に子ども達が成長し、参加出来なくなったり、復活したりと変遷を感じさせます。
私が作る料理のポイントは「とまポン」です。豚角煮のトマト風味、たこ唐揚げのみぞれ風とまポン味、とまポン賄い炒め(大根の皮・大根の葉・セロリの葉を細かく切り、食べるラー油で炒めとまポンで味を付けます。)大根おろしを黒胡椒ととまポンで和えた物を野菜サラダにかけたとまポンサラダみぞれ風等々、とまポンの大活躍でした。特に豚角煮は大好評で、その出来栄えに作った本人もびっくりしてしまいました。もとはと言えばcolemanのサイト内にあるレシピを活用したのですが、私のオリジナルにアレンジしました。
定番の鳥肉のコーラ煮や焼肉なども用意してくれ、深夜まで楽しい宴が続きました。
翌朝の朝ご飯は、私しは炊き込みご飯と味噌汁、友人がサンドイッチとこちらも定番。ただ炊き込みご飯をたまごかけご飯にしたら、子ども達が「ボクも」「ワタシも」こちらも大好評。
最後にメタセコイアの並木道で記念撮影をして帰りました。次は夏の金山の森です。

4月

2011.4.1(金)出陣式 → 当選
2011.4.1(金)人事
2011.4.2(土)松枝保育所入所式
2011.4.5(火)歴史民俗資料館 企画展「松本 五竹 〜書画の卓逸者〜」
2011.4.8(金)入学式と幟
2011.4.8(金)金魚
2011.4.11(月)灯籠???
2011.4.11(日)中門間集会所竣工式
2011.4.20(水)NPO法人笠松を語り継ぐ会総会
2011.4.21(木)笠松町青少年育成町民会議総会
2011.4.23(土)緊急支援バザー
2011.4.17(日)〜24(日)統一地方選後半戦
2011.4.26(火)春季戦没者慰霊祭
2011.4.29(金)はやぶさと天領の駅

2011.4.29(金)はやぶさと天領の駅
今日は岐阜南法人会笠松支部が立ち上げるまちの駅「天領の駅」のオープンイベントが午前10時から行われます。そしてもう一つ、以前から長男と約束していました「はやぶさ」が展示されます各務原航空宇宙博物館へ行く日程が重なってしまいました。さらに午前4時半からの約束も一件有り朝から大変忙しい日でした。
早朝の所用を済ませ、「はやぶさ」の整理券をもらいに博物館へ直行です。でも、頂いた整理券は一枚のみ、しかも午前10時集合です。これでは「天領の駅」のオープンイベントへは行けません。こちらは諦めて「天領の駅」へ向かいました。そこには笠松の歴史や、懐の深さが展示してあり、私が生まれた所の懐かしい地図や写真も有りました。「天領の駅」を立ち上げた敬意や意気込みをお聞きしました。最後にからくり人形の実演もあり、岐阜工業高校の生徒さん達も食い入るように見つめていました。
オープンイベントを済ませ、長男・三男を連れて「はやぶさ」へGO!!です。写真撮影禁止でしたので映像を撮ることは出来ませんでしたが、三億キロの彼方まで旅をしたカプセルが無性に愛おしく感じられました。

2011.4.26(火)春季戦没者慰霊祭
年に2回行われる、戦没者慰霊祭。春は笠松町主催、秋は遺族会主催でそれぞれ行われます。
太平洋戦争時に国内都市が受けた、空襲による破壊程度や範囲の広さを思えば、東日本大震災は地域が限定されていると言えるのかも知れません。しかし、現在の世界に於ける、政治、経済に対する日本が果たすべき規模の大きさは、計り知れない程の隔たりが有ると思います。そして先の大戦にも、今回の震災にも“軍”が全く逆の意味で大きく関わっているのです。それぞれの時代の思惑が大きく左右しているような気がします。“軍”が“軍”の機能維持を図る為の行動。しかし、それでどれだけの人々が救われたので有ろうか。どちらも現在の世界には必要な事なのかも知れませんが、コントロールを失った「原発」にだけは、決してしてはいけないと言う事は、はっきりしています。

2011.4.17(日)〜24(日)統一地方選後半戦
今回の後半戦、愛知県・岐阜県両県近隣6市町へ応援に入りました。出陣式・個人演説会など14会場でご挨拶の機会を頂きました。それぞれの地域での諸問題を「基礎的自治体」の議員として直接、住民と向き合う姿を見るとその直向きさに敬服します。彼らのその想いが伝わったのだと思います。全員当選する事が出来ました。その上3人の方はトップ当選です。これは日頃の活動の賜だと思います。これからの活躍を期待しています。

2011.4.23(土)緊急支援バザー
東日本大震災への義援金バザーがなごみの会の皆さんにより、松枝南会館で行われました。私は、音響設備の提供を求められましたので、快諾させて頂きました。当日は津軽三味線と民謡ショーやうどん・焼き鳥などの屋台村の開催などが行われました。あいにく雨模様にもかかわらず多くの皆さんが会場に脚を運んで頂いた様です。こうした活動が笠松の懐の深さに加え、幅の広さが増していく気がします。笠松内外のNPOやボランティア団体等をコーディネートする組織が必要かも知れません。より効率よく、より楽しく、より多くの方と共感、共有出来ると素敵です。

2011.4.21(木)笠松町青少年育成町民会議総会
町民憲章朗唱から始まるのは、恒例のことです。
笠松町民憲章
 木曽の清流にはぐくまれ、木曽の奔流に耐えて、力強く生きぬいた誇り高いわたしたち笠松町民は、豊かな明るい生活をめざしてこの憲章を定めます。
 1.いつも学習に励み 生活や文化を高めましょう
 1.お互いが助け合う心を養い 幸せを求めましょう
 1.みんなの健康 安全と 家族のだんらんに心がけましょう
 1.自然を愛し 清潔で美しい環境をつくりましょう
 1.社会の恩恵に感謝し 働くことに生きがいをみつけましょう

次に平成22年度の表彰が行われました。
笠松小学校JRC委員会・松枝小学校児童会計画員会・下羽栗小学校3年生・笠松中学校3年生、生徒会・岐阜工業高校 化学部
青少年育成委員として太和田進さんとまつえだふれあい隊の皆さん、更に青少年育成委員として6年以上の活動で8人の方が表彰を受けられました。私の6年以上で表彰して頂きました。あれからもう6年も経つのだと思うとその時の流に驚いてしまいます。二分の一成人式事業も今年度で5回目です。今年も10歳になった二分の一成人とその保護者の方にお祝いが出来る事を願っています。

2011.4.20(水)NPO法人笠松を語り継ぐ会総会
NPO法人笠松を語り継ぐ会総会が杉山邸でおこなわれました。ごめんなさ!本当は所用で欠席しよ〜かなと思っていたのは事実です。直前に電話を頂き急遽参加させて頂く事になりました。
笠松の懐の深さを実感させてもらえる活動には敬意を表します。今後の活躍を祈念し、ご挨拶をさせて頂きました。

2011.4.11(日)中門間集会所竣工式
長年の懸案であった、中門間の集会所が竣工しました。多くの住民の皆さんを始め、役員、企業の方々のご尽力の賜と考えています。
私の住む田代地区でも、集会場は長年の懸案事項には間違い有りません。これを解決するには、もう少し時間が必要かも知れません。地道で継続的な調整が必要です。

2011.4.11(月)灯籠???
いつ頃からでしょうか、羽島市、濃尾大橋と尾濃大橋の間、木曽川右岸堤内の中段に奇妙な物が“生えて”います。まるでキノコのようにニョッキリと・・・以前から気になっていたので車を降りて確かめて見ました。張りぼての灯籠が堤体に“生えて”います。すぐ前には、国土交通省の「注意」文書が立てられていました。何かの「おまじない」でしょうか?それとも下に何か埋まっているのでしょうか?気味の悪い灯籠もどきです。

2011.4.8(金)金魚
我が家で飼っている金魚が白くなって来ました。10日程前でしょうか、三男が「お父さん、どうして家の金魚は白くなるの?」の一言で気が付きました。毎日注意深く見ていると、どんどん白くなって行くのです。
ネットで調べて見ると結構良くある事の様です。室内飼いで日光に当たっていないから、風邪のようなもの、ストレス、成長過程で起きる事がある、水が酸性に傾いている等々、色々な事が載っていました。大きな問題は無いようなのでしばらく様子を見る事にします。
何か良い事が有ると良いのですが・・・
んです。新卒の方、社会人を経験された方等優秀な皆さんだと信じています。団塊の世代の抜けた後の笠松町を担って行ってくれると確信しています。

2011.4.8(金)入学式と幟
笠松まつりは中止となったのですが、北野神社は幟を立てるポールを更新した事も有って、その講習会も兼ねて幟を立てる事にしたのです。氏子役員も高齢化が進み、今までの様に杉の木を立てて幟を挙げるのに苦労していました。今度からは、大きな力を入れることなく実に軽く、簡単に挙げる事ができる様になりました。
そして、午後からは県立高校の入学式です。私は自分の母校から案内を頂いていましたが、所用で行けませんでした。もちろん次男には、家内がついて行きました。緊張の中にも晴れやかな次男の顔を見るのは久しぶりです。
笠松の桜もやっと満開を迎えました。

2011.4.5(火)歴史民俗資料館 企画展「松本 五竹 〜書画の卓逸者〜」
笠松町歴史民俗資料館では、企画展「松本 五竹 〜書画の卓逸者〜」を開催しています。明治9年、笠松町上本町に生まれ、大正の初め頃に門前町に移住。美濃派獅子門俳句・法華経の写経・墨彩画等、遺作・遺品を残しました。
亡くなられたのが昭和40年(1965)で90歳だったとの事。昭和40年というと私は5歳。同じ時代を生きた事に、感動を覚えてしまします。そしてまたひとつ笠松の懐の深さを感じる事が出来ました。これが私のまちの誇り、この深さがこの町の誇りです。歴民で誇りを感じて見ませんか!!

2011.4.2(土)松枝保育所入所式
今年度は、財団法人から新生「社会福祉法人笠松町地域振興公社」になって初めての入所式です。と言っても見かけ上何ら変わる事もなく、もちろん子ども達や保護者の皆さんに変化に気付かれないほどに粛々と進めるべき事です。
まだまだお母さんのお膝の上から離れられない子ども達を見ているととても愛おしく感じてしまいます。彼らの未来が輝き続ける事を祈らずにはいられません。
午後からは、大垣の高校まで通学する事になった次男と一緒に自転車で大垣まで行く事にしました。自宅から15.6km、1時間4分の自転車の旅できた事がとても嬉しかったのです。次男と一緒にいったのが・・・きっと忘れません。
ガンバレ!!少しだけ大人に近づいた次男へ。

2011.4.1(金)人事
4月1日、恒例の臨時議会が開催され、今年度の議長と副議長が決まりました。すでにご存じかと思いますが、議長:伊藤 功 議員・副議長:古田 聖人 議員に決まりました。特に混乱もなく決まった事に安堵しました。
その議会が始まる前に今年部長級になられる職員の方と新採用の方の紹介が絞られ、更に選ばれた10名の皆さ

2011.4.1(金)出陣式 → 当選
統一地方選挙、前半の県議会議員選挙の告示日です。岐阜県羽島郡選挙区も過去四度にわたり激しい選挙戦を行って来ました。そして今回は全くの無風区となり、届出から9時間で当選が決まりました。私は、これまで三回の自分自信の選挙を含め、お手伝いさせて頂いた中でも無投票当選は始めての経験です。
「投票が出来ない様な「無投票」という選択肢を選んではいけない」とお話しされた方がいます。選挙こそが民主主義の根幹で有ると。それに依存を唱えるつもりはありません。私自身、現状に納得いかなければ、選挙と言う形で戦う事は厭いません。しかしどんな事でも、オープンに議論出来る状況が担保されているならば、地域の安定こそが地域に活力を生み出すと確信しています。
行政とは、正確さであり公平さであり迅速さであると考えています。そしてそれに血液を流し込むのが政治の力だと信じています。そして、その人肌を感じてこそ安心して暮らせる地域の創出に繋がって行くのではないでしょうか。

3月

2011.3.6(日)わいわいフォーラム2011「みんなでブラタモリ 笠松郡代陣屋の痕跡」
2011.3.8(火)笠松中学校卒業証書授与式
2011.3.13(日)ホワイトデー
2011.3.18(金)名誉町民顕彰
2011.3.21(月)雅流会
2011.3.22(火)救助報告
2011.3.24(木)松枝小学校卒業証書授与式
2011.3.25(金)松枝保育所卒園式
2011.3.27(日)東日本大震災支援物資
2011.3.28(月)笠松大名行列お奴保存会総会

2011.3.28(月)笠松大名行列お奴保存会総会
今年の笠松大名行列お奴保存会総会は少々淋しい総会となってしまいました。それは東日本大震災の影響で笠松春まつりが中止となってしまったのです。冒頭の保存会会長の挨拶でも「振らせたかった」の言葉に集約されています。
今年からは、中学までお奴に参加してくれた子ども達に、高校生になってからの参加してもらえるように案内状を出したのです。我が家の次男も無事高校生になって参加の予定でした。笠松に生まれた事で参加出来る貴重な体験です。中学までは地域との繋がりが多いのですが、高校生になると途端に希薄になってしまします。そして結婚して子どもが出来るまで続くのです。
故郷は君たちを忘れないし、必要だと感じています!!

2011.3.27(日)東日本大震災支援物資
3月11日の東日本大震災から16日、個人では支援物資を送れなかったのですが、県が市町村単位で集荷、分別して送る事になりました。当初の予定を延長して持ち込まれた物が役場四階の大会議室に集められています。そのものすごい多さに驚いてしまいました。私も三男が「ボクも持って行く!!」の一言で家にあったバスタオル・フェイスタオルなど数十枚を持って行きました。何か少しでも役に立ちたいという優しい気持ちの集合体です。
皆さんから持ち込まれた支援物資の一覧はこちらです。(平成23年3月29日現在)
町内会連合会から集められて義援金はこちらです。
個人・企業の皆さんからの義援金はこちらです。

2011.3.25(金)松枝保育所卒園式
民営化して三年目の卒園式、そして財団法人 笠松町地域振興公社として最後の卒園式となります。来年度は福祉法人 笠松町地域振興公社としての出発になります。
制度上はともかく、子ども達の姿、歌声には感動します。一つひとつ、一人で出来ることが毎日に増えて行く、これ位の子ども達には「夢」を感じます。「未来」を感じます。この子たちが「未来」を作って行くのです。言い換えれば、彼らこそが「未来からの手紙」なのです。
卒園式で「お別れの歌」を歌った頃のその純真の心を持ち続ける事が出来る社会は「大人達の責任」だと思います。
加藤所長さんが東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災)の事を園児と話し合った時の事を話されました。「大きな地震や津波で大変な事になってるね。これを見てみんなは何が出来るかな?」との問に「何にもできんで、“がまん”しないかん」と言ったそうです。そして「私たちには“心の応援”が出来る!」とも言ったそうです。そんな子ども達の想いを継続的に育てて行くのは「親の責任」だと思います。そんな親の一人として考えさせられました。

2011.3.24(木)松枝小学校卒業証書授与式
1872年の設置以来139回目の春を迎える、松枝小学校の卒業証書授与式が花冷えの中挙行されました。先ずは東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災)で亡くなられた方々への黙祷から始まりました。
5639号から109人の卒業生、一人ひとりに卒業証書が手渡されます。その前途に「夢」多かれとの思わずにはいられません。
正木校長先生の式辞にあったお話しは、「今を大切にして下さい。“念ずれば花開く坂村真民さんの詩に一節です、「念」とは、「今」の「心」と書きます。今を大切にする心が「夢」を実現へと繋がります。もう一つ、“ありがとう”の感謝の気持ちを忘れない事、これも「夢」の実現にはとても大切な事です。」と言われた後に、下記にあります“ありがとう”で書いた「夢」の文字を見せていただきました。

卒業生達が描いた「夢」をご覧下さい。

世界の国々を旅して回ったり、有名な山に登ったりして、知識を高め、自分の力を確かめたいです。
ペンギンの飼育員になりたいです。飼育の仕方をしっかり学び、ペンギンの気持ちを理解したいです。
調理師になりたいです。料理の勉強をして、色々な人に食べてもらい、おいしいと喜んでもらいたいです。
運転手になりたいです。そして家族を乗せていろいろな所へ買い物や旅行にも行きたいです。
レスキュー隊員になりたいです。そのために毎日走りこみをして体力作りをがんばりたいです。
甲子園に出て優勝し人両親を喜ばせたいです。毎日練習をたくさんし、野球の強い高校に入りたいです。
何でも自分の力でできる人になりたいです。そのために身の回りの事、一つ一つに努力したいです。
整備士になりたいです。人々が安全かつ安心して乗り物に乗れるよう、一つ一つ真剣に整備をしていきます。
パティシエールになりたいです。私が作ったスイーツを食べた人が笑顔いっぱいになるようがんばります。
良い事は良い、悪い事は悪いと言える人になりたいです。そのために、積極的に話しかけていきたいです。
看護師になって病気やけがで苦しんでいる世界中の人々を助けたいです。そしてみんなを笑顔にしたいです。
教師になりたいです。教師になって子ども達に理科の実験や社会の歴史について分かりやすく教えたいです。
全ての人や物に感謝できる人になりたいです。そのためにありがとうという言葉を大切にして生活します。
科学者になり、人々の役に立つ発明をしていきたいです。そして、開発途上国の生活を豊かにしたいです。
患者さんが安心して治療を任せることのできる医者になりたいです。誰にでも優しく接するよう努力します。
おいしいケーキを作るパティシエールになりたいです。家でケーキを作って家族に食べさせてあげたいです。
外国でも活躍できるプロサッカー選手になりたいです。そのために毎日の練習や試合を大切にしたいです。
どんな時でも心の広い人でいたいです。広い心で失敗などを許し人そしてもっと友達関係を深めたいです。
どんな家やビルにでも丈夫な足場を組む父のようになりたいです。責任をもって仕事に取り組みたいです。
みんなに注目されるプロサッカー選手になります。そのためにシュートやフェイントの技をみがきたいです。
患者さんに励ましの言葉かけられる優しい看護師になりたいです。今から言葉遣いを丁寧にしたいです。
バレーボール選手になり日本代表チームで活躍したいです。竹下選手のようにきれいにトスをあげたいです。
図書館司書になりたいです。皆に本のおもしろさを知ってもらうために、自分もたくさん本を読みたいです。
ブティックの店員になり、お客さんの服をコーディネートして、その人に新しい自分を見つけてほしいです。
保育士になりたいです。園児と一緒に楽しく遊んだり、歌ったりして、どんな子とも仲よくなりたいです。
父のようにいろんな事に挑戦できる人になりたいです。ぼくも、難しい役割に進んで立候補していきます。
警察官になりたいです。犯罪者力戦曽加しているので、被害者を出さないように住民に声をかけたいです。
設計士になりたいです。どんな人も安心して暮らせる家を設計して、家族全員に喜んでもらいたいです。
笑顔で接客し∴お客様が私の店で購入してよかったと思えるような、すてきなブティックを開きたいです。
テニスのコーチになりたいです。テニスの楽しさを教えてあげられる、優しくて頼もしいコーチになります。
人に優しくできる人になりたいです。生活の中で因っている人を見かけたら、進んで手助けをしていきます。
詩人になりたいです。詩を通してみんなにぼくの考えや気持ちを知ってもらい、世の中を変えたいです。
おいしいパンを作るパン屋さんになりたいです。家でもお手伝いをたくさんして調理の技術を身に付けます。
役場の職員になりたいです。ごみが落ちていない美しい町にして、地域の人に喜んでもらいたいです。
僕の将来の夢は親が経営している会社を継いで、よく努力し、今以上に大きな会社にすることです。

トップスイマーになりたいです。そのために精神力、技術、体力の心技体の備わった人になりたいです。
漫画家になりたいです。誰もが読んで笑えるような漫画を描きます。そして、みんなを明るくしたいです。
モデルになりたいです。父がデザインした衣装を着てパリコレで堂々と歩けるようになりたいです。
年俸3億円のプロ野球選手になることが夢です。今からたくさん練習し、夢をかなえて親孝行したいです。
住宅の設計士になりたいです。みんなが安心して暮らせるよう、地震に強い家を設計したいです。
トリマーになりたいです。いろんな種類の犬に挑戦して、世界に通用するトリマーを目指します。
人に優しく接してあげられる人になりたいです。困っている人がいたら、進んで助けてあげたいです。
思いやりのある人になりたいです。自分のことだけではなく、人のことを思い行動ができる人になりたいです。
バスケットボールの選手になりたいです。日本だけでなく外国でも活躍し有名な選手になりたいです。
オリンピックに出場できるような水泳選手になりたいです。練習に真剣に取り組み、よい結果を残したいです。
思いやりのある優しい人になりたいです。因っている人がいたら、声をかけて、力になってあげたいです。
獣医師になりたいです。どんな小さな動物も救い、命の大切さを色々な人に伝えていきたいです。
介護福祉士になりたいです。そのためにボランティアを続け、入所者さんが安心できるよう介護したいです。
警察官になりたいです。日本の人が安心して暮らせるようパトロールをし、地域の安全を守ります。
医者になってたくさんの人を助け、みんなに笑顔になってもらいたいです。そのために勉強をがんばります。
漫画家になりたいです。たくさんの人に読んでもらい、喜んでもらえるような心温まる漫画を描きたいです。
キックボクシングのチャンピオンになりたいです。大会に出て優勝ができるような選手になりたいです。
プロ野球選手になりたいです。チームの仲間を思いやり、野球のおもしろさを伝えられる選手になりたいです。
電化製品の開発の仕事がしたいです。知恵を出して、生活研更利になるような製品をつくりたいです。
ハンドボールの日本代表の選手になります。色々な国の人と対戦しハンドボールの楽しさを伝えたいです
思いやりのある人になりたいです。そのため、だれにでも優しく、気を配ってあげられるようにしたいです。
プロ野球選手になりたいです。毎日欠かさず素振りを続け、ドラフトで1位指名されるように頑張りたいです。
日本のマザーテレサになりたいです。そのためにどんな人にも優しい心で接するように心がけたいです。
甲子園に出場して優勝したいです。そのために中学校でも野球の練習を一生けん命がんばりたいです。
お弁当屋さんになりたいです。みんなが喜んで食べてくれるようにおいしくきれいに作りたいです。
プラダンサーになりたいです。美しく踊るために、手を伸ばすことを意識して練習に取り組みたいです。
みんなのことを考えられる優しい人になりたいです。私がしてもらった優しさを伝えたいです。
責任感のある人になりたいです。色々なことに挑戦し責任をもってやりぬけるよう努力したいです。
プロ野球選手になりたいです。たくさん練習をして、みんなから「すごい」と思われる選手になりたいです。
小説家になりたいです。多くの人を楽しませ、感動させられる小説を書いて幸せにしたいです。
みんなのためになるような仕事につきたいです。世の中が平和でみんなが笑顔になれるよう努力したいです。
どんな人でも広い心で受け止められる人になりたいです。誰とでも仲良くなって助け合いたいです。
ハンドボールの日本代表選手になりたいです。たくさん練習して試合に出て、得点王になりたいです。
野球選手になりたいです。だから今以上にたくさん練習して上手くなり、甲子園に出て、活躍したいです。
プロアングラーになりたいです。そのためにつりの道具のことや魚の習性についてくわしくなりたいです。
みんなのことを支えてあげる心のやさしい人になりたいです。困っている人がいたら声をかけたいです。

友達や家族を支えられる人になりたいです。今まで私が支えてもらった分、みんなの役に立ちたいです。
人を幸せにできる人になりたいです。特にボランティア活動をがんばって、尊敬される人になりたいです。
サッカー選手になりたいです。メッシ選手のようにバロンドールを日本に持って帰ってきたいです。
目標をもって突っ走っていきたいです。そのために何事にも前向きに取り組み、立派な大人になりたいです。
看護師か、ホームヘルパーになりたいです。人のために役に立つ人になり、囲っている人を助けたいです。
看護師になり、けがをした人や苦しんでいる人を助けたいです。困っている人を支えられるようにします。
バドミントン選手になりたいです。世界大会で、優勝し人チームの仲間と家族を喜ばせたいです。
どんなことでも挑戦できる人になりたいです。いろいろなことに挑戦して可能性を広げていきたいです。
アメリカに行ってバスケットのプロプレーヤーになりたいです。そして、もっと技を磨きたいです。
警察官になりたいです。みんなの平和と安全を守り、囲っている人を助け、人を支える人になりたいです。
音楽に関わる仕事につきたいです。音楽が好きになってくれるようにその楽しさを伝えていきたいです。
ハンドボールの選手になりたいです。たくさん練習し世界の人と戦えるあこがれの選手になりたいです。
卓球の選手になりたいです。大会でメダルを獲得できるように努力していき、外国の大会にも出場したいです。
立派な人になりたいです。人の役に立てる心の大きな人になり、困っている人がいたら助けに行きたいです。
日本の伝統の一つである太鼓のよさを伝えられる人になりたいです。これからも太鼓の練習を続けます。
サッカーのゴールキーパーになりたいです。川島選手のように上手くなって外国でプレーしたいです。
大リーグのプロ野球選手になりたいです。サードでプレーをし、ワールドシリーズで優勝したいです。
ある教室の先生になりたいです。その教室で「考えることの楽しさ」を子どもたちに教えていきたいです。
自分のラーメン屋をもつのが夢です。自分の作ったラーメンをたくさんのお客さんに食べてもらいたいです。
釣り名人になりたいです。ブラックバスやブルーギルを一杯釣って日本の川を守りたいです。
ファッションデザイナーになりたいです。服のデザインを考えて、みんなが喜んでくれる服を作りたいです。
将来の夢は車の整備士です。大好きな車を修理して、多くの人が楽しく車に乗れるようにしたいです。
芸能人になりたいです。そのために、苦労する事はあっても、何事にもあきらめずに挑戦していきたいです。
プロ野球選手になりたいです。イチロー選手のようにヒットをたくさん打てるよう精一杯練習したいです。
ダイバーになりたいです。6年間習った水泳を生かし生き物とふれあって生命の大切さを学びたいです。
野球選手になりたいです。子どもから高齢者までに応援してもらえるようにたくさん努力をしたいです。
人の命をサポートする「麻酔医」になりたいです。メスをにぎる外科医の手助けをし、人の役に立ちたいです。
医者になりたいです。ぼくは病気で苦しんでいる人の気持ちがわかるので、多くの人の病気を治したいです。
パン屋さんになりたいです。おいしいパンをいっぱい作って、みんなに食べさせたいです。
人を助ける仕事をしだいです。困っている人がいたら、助けて感謝される人になっていきたいです。
福祉の仕事につきたいです。手話や点字を勉強して、目や耳が不自由な人達が楽しくなるようにがんばります。
英語が役立つ仕事につきたいです。今、英語の勉強をしているので、それを生かし、がんばりたいです。
ミュージシャンになりたいです。そのために、毎日エレキギターの練習をがんばりたいです。
小説家になりたいです。世界中の人々が笑顔になれるような作品が書けるように努力します。
誰にでも優しくする人になりたいです。良い事をすると、自分の心も温かく、うれしくなるからです。
テニス選手になりたいです。試合で負けそうになっても、勝てると信じて、あきらめずにやりぬきたいです。
寿司店の開発部長になりたいです。そして新しい寿司ネタを作って、「これはうまい」と思わせたいです。
迷わず何事にも挑戦する事ができる人になりたいです。因っている人を支える人になりたいです。


私からお祝いの言葉を一言
「ご卒業、本当におめでとうございます。チャンスは、みんなに平等に来ます。これは本当です。でもそれに気付かない事がとても多いのです。校長先生がお話しされたように「今」の「心」を大切に念じ続ける事が出来き、準備の出来ている人にしかチャンスかどうかが解らないのです。「念念相続」(一念もやすまないこと。常におもいつづけ、間断のないさまをいう。)なのです。君たちこそが「未来」を作るのです。本当におめでとう!」

2011.3.22(火)救助報告
2011(平成23)年3月11日(金)14:46に発生しました、「平成23年東北地方太平洋沖地震」は、マグニチュード9.0で日本国内観測史上最大の規模で有る事が解って来ました。日増しに増大の一途をたどる被害の大きさと範囲の広さに驚愕を禁じ得ませんし、地球の怖さを痛感しました。
被災されました方々へお見舞い申し上げますと供にお亡くなりされました方々へお悔やみを申し上げます。

岐阜県内の消防本部がそれぞれのブロック毎に別れて救助支援に出場しています。羽島郡広域連合も岐阜ブロックの一員として福島県相馬郡新地町へ3月16日から三日間の日程で、救助工作車1台、作業員5名体制で向かい、無事帰還したとの事で、議会会中でも有ったので柴田消防長と横山副隊長が報告に来てくれました。
阪神大震災でも出場経験がある横山副隊長は、開口一番「阪神の時には地震で家屋倒壊が多く、道路の亀裂や歪みも強かった、しかし今回の場合は、家屋倒壊は意外に少なく、それよりも津波により家屋が全く別の場所に移動されながら倒壊した被害がほとんどで有った。」とお話しされました。また、「道路も亀裂や歪みの思った程ひどくなく、ガレキを撤去さえすれば車での移動が出来た。」とも語られました。これを笠松町で置き換えれば「津波が例え発生しても河口から40kmの笠松町まで到達してもそれ程の被害は無いと考えられる(今回の地震でも津波は北上川上流49kmまで確認されている)それよりも阪神大震災同様家屋倒壊と倒壊家屋で発生する火災が最も大きな被害を出すと考えられる。」と話され、今後の課題としては「耐震と水利の確保、特に上水管に頼る消火栓は地震で利用不可能になる可能性があるので耐震貯水槽が最も有効であろう。」との事でした。以前、私が議会で取り上げた事と同じで有りました。現に消火活動に出場して笠小校庭内の消防水利のマンホールを開けた時、水が全くなくなっており消火活動に支障をきたした事が有りました。
救助出場された皆さんは、福島県消防学校のグランドを拠点とし、相馬郡新地町まで2時間かけて向かうそうです。しかし、津波で倒壊家屋が移動しており地図での場所確認が出来ない為、地元消防団の方の案内で救助活動をされたとの事。地元消防団員が、他地域からの救助隊を支援出来る体制を整えるのは,大規模災害時には有効な手段だと感じました。また笠松町でも全国でも、その消防団員確保に苦労されております。阪神大震災の直後は一次、皆さんから注目を集めましたが、のど元過ぎれば・・・の状態でした。今までは団員の側から、行政の側からのアプローチが多かった様に思います。発想を逆転して、消防団に参加しなかった側からのアプローチを試みてはどうでしょうか?何故参加しなかったのかを聞いて見たいと感じています。本当の理由を把握したいと思っています。

更に心配な事があります、それは東京電力福島第一原子力発電所内で起きている事です。30年程前になりますが、私も原子力発電所内での作業を行っていた事が有ります。今は、独立行政法人 日本原子力研究開発機構 敦賀本部 原子炉廃止措置研究開発センターとなってしまいましたが、当時は動力炉核燃料開発事業団 新型転換炉 実験炉 ふげん発電所 と言われていました。その「ふげん」内で燃料交換機と緊急炉心冷却装置のメンテナンスを行っていました。たぶん、第3回目の定期点検に関わっていたのだと記憶しています。その時の記憶がまざまざと甦って来ます。

東京電力を避難する事はいつでもできます。政府を非難する事はいつでも出来ます。今現、在最も必要なことは、これ以上物理的被害が広がらない事、人的被害がこれ以上広がらない事、これ以上経済的被害が広がらない事です。落ちつてからしっかり検証し、今後に備えることです。

笠松町でも義援金の外に援助物資の受け付けも始まっています。(3月27日まで)そこに多くの物資と義援金が届いています。先ずは、自分達に出来る事を、長期的継続的に行う事が大切です。議会でも被災者受入の提案をいたしました。

岐阜県の支援状況はここをクリックしてダウンロードして下さい。
PdfファイルがZIP形式で圧縮してあります。

2011.3.21(月)雅流会
浅井岐阜市議会議員よりご案内をいただきました「雅流会」なる写真展に出かけて来ました。すばらしい作品に感動し、いつかは私も写真を撮り歩く時間が来るのだろうか?と感じてしまいました。優雅な空間をありがとうございました。

2011.3.18(金)名誉町民顕彰
笠松町には名誉町民として顕彰させていただいた方が2名おられます。この方を広く町民の皆さんにお知らせすると供に、その功績を讃える為に、役場一階ロビーに肖像画を掲げさせて頂きました。ご来庁の際にはご覧下さい。

2011.3.13(日)ホワイトデー
バレンタインデーのお返しとして、全国飴菓子工業協同組合が1980年からホワイトデーをスタートさせたとの事。1980年と言えば、私はすでに二十歳になっています。そう言えば子どもの頃には、ホワイトデーなどは無かった様な気がします。マシュマロデーとかクッキーデーとかもあった様な気がしますが・・
ともあれ次男と三男がもらって来たチョコレートのお返しに妻と私で「手作り生キャラメル」を製作する事になりました。2010年11月4日の見聞録で紹介させてもらったものです。今回は量が多いのでおよそ1時間ひたすら、火加減を調整しながらかき回します。三分の二はプレーン、残り三分に一には抹茶を加えて綺麗なグリーンに仕上げました。喜んで頂けますでしょうか?

2011.3.8(火)笠松中学校卒業証書授与式
笠松町立笠松中学校 平成22年度 第64回卒業証書授与式が挙行されました。
16,901号から180名が同窓生の仲間に入ります。
見聞録の更新が滞ってしまい、現在は3月26日です。ですから卒業式の2日後に県立高校の一般選抜、その翌日14時46分には「平成23年東北地方太平洋沖地震」が発生してしまいます。
今回卒業する子ども達が生まれたのは1995年です。1月17日には阪神大震災、3月20日には地下鉄サリン事件と日本の舵を大きく切らせる年でした。そして義務教育を終えて、新たなる旅立ちの矢先に大震災。それも日本史上最大規模の震災です。これから世界の力も借りながら、日本が一丸となってこの困難に立ち向かって行かなくてはなりません。復興には10年か20年か・・その頃の日本を支える中心世代になっている卒業生達へ希望を失わず、顔を上げて元気に新しい日本を作って欲しい。今こそ、日本の良いところを残しつつ、新たなる社会を作る大きなチャンスなのです。そんな大役をこなしきってくれる事を信じています。


2011.3.6(日)わいわいフォーラム2011「みんなでブラタモリ 笠松郡代陣屋の痕跡」
笠松町文化協会が毎年行って来ましたわいわいフォーラム、今年は笠松陣屋の痕跡を訪ねて町内をぶらぶらと巡ります。集まった皆さんは、およそ80名。関心の高さを感じます。
ガイド役の笠松を語り継ぐ会の方に言われるままに、町内六ヶ所を廻りまし。笠松陣屋跡として建物などが残っている訳でもなく、石碑とモニュメントがあるだけです。そこで案内されたのが料亭安田屋さんの中にある古い井戸。これが陣屋の井戸だったと聞いて、参加された皆さんも興味津々。井戸の中をのぞき込んでは、陣屋へ想いを馳せていました。
今日も笠松の奥行きの深さに触れる事が出来ました。

2月

2011.2.4(金)二分の一成人式アンケート結果
2011.2.5(土)道徳のまち笠松のつどい
2011.2.8(火)経過報告9
2011.2.13(日)新年の集いと凧あげ
2011.2.15(火)羽島郡広域連合はしご車披露
2011.2.20(日)笠松町商工会設立50周年記念講演会
2011.2.20(日)お雛さまと地蔵尊まつり
2011.2.23(水)田中勝士後援会役員打合会
2011.2.26(土)笠希な集い24

2011.2.26(土)笠希な集い24
今回ですでに24回を数えるまでに育てていただきました。今回は2月、暦では春とは言っても極寒の時期です。皆さんが来て頂けるかには気を揉みます。しかし今回は入りきれない程の人で溢れました。用意した資料が足りなくなってしまいました。本当にありがたい事です。
そして掃除から後片付けまでのお手伝いもして頂き、感謝・感謝です。

2011.2.23(水)田中勝士後援会役員打合会
今年、4月に迫った統一地方選挙に備え、笠松地区役員の打合会が行われました。すっかりおなじみの皆さんのお顔を一同に拝見したのは久しぶりです。
田中県議の新たな意気込みと、皆さんの闘志を確認し無事終了しました。

2011.2.20(日)お雛さまと地蔵尊まつり
杉山邸で行われています「お雛さま」を見て来ました。入口脇には春の先駆けの“ふきのとう”がほほえんでいます。中に入ると「ようおんさったなも」と笠松弁でうさぎ雛がお出迎えです。

手作りのお雛さまたち、活躍を終えた雛たちがたくさん出迎えてくれます。かわいい子ども達も接待してくれるんですよ!!

優しい気持ちになれる「お雛さま」3月3日までです。是非お越し下さい。
地元、田代に帰ると地蔵尊まつりと田代中三班東西の新年親睦会がお待ちかね、忙しい一日でした。

2011.2.20(日)笠松町商工会設立50周年記念講演会
笠松町商工会設立50周年記念講演会が行われました。窪島誠一郎 氏を講師にお招きし“「無言館の事」戦没画学生の絵が伝えるもの”と題した講演をお聞きしました。窪島氏の生き様、無言館に込めた想いには、共感出来る所は随所にあります。そしてそれを支えて行く事の大変さも伝わって来ました。しかし、これと笠松町商工会50周年記念事業としての必然を感じる事は出来ませんでした。ただ無言館には、いつか脚を運んでみたいと思いました。

最後に発表されました、窪島氏の著書(無言館への旅)プレゼントに当選させていただきました。その上、サインまでして頂き、チョッピリ嬉しかったのです。

そして家に帰ると、I.W.HARPER HIGHBALLが1ケース届いていました。いつかHPから応募した懸賞に当選した様です。そう言えば・・・先週、取引先の自販機で缶コーヒーが当たったのを思い出しました。缶コーヒー → 無言館への旅 → I.W.HARPER HIGHBALL1ケースとだんだん金額が大きくなって来ました。次は何に当選するのでしょうか?楽しみです・・・

2011.2.15(火)羽島郡広域連合はしご車披露
羽島郡広域連合西署に、はしご車が先月1月28日に引き渡し式が行われ、配備されました。それに先駆けて旧車輌は26日に廃棄されたようです。
今日、更新車輌のお披露目式が笠松町役場駐車場で行われました。更新車輌の説明を受け、試乗する事となりました。説明では、自動的にはしごを水平に保つ「ジャイロテーブル」、車輌よりも下までバスケットを下げる事が出来る事に加え数々のインターロック機能などもお聞きしました。バスケットの角度が変更出来る事、その機能ではセンターに戻っていないとはしごを収納出来ない様、インターロック機能が働く事などもお聞きしました。また、電線が近づくとアラームが鳴ったり、風速10mを超えるとはしごが延伸しない事など様々な安全装置が付けられています。少し気になったのが、その位置を確認するセンサーについてです。バスケットの接近にはスプリング式のリミットスイッチが付いていましたが中には非接触のセンサーもあるようです。それのセンサーが作動不良を起こした時には、インターロック機能が働き動作がその場で止まってしまうのでしょうか?もちろん、緊急自動車なのであらゆる事を想定してあるとは思うのですが、少々気になってしまいました。以前、原発の安全装置を担当していた時を思い起こしてしまいました。
ベース車輌は日野自動車製、架装メーカーはモリタです。製作メーカーに全くの不安はありませんし、先の説明で安全性が保たれているのもわかっていても、いざ乗り込むと緊張します。ところがその心配もすぐに打ち消されました。私が試乗させてもらった時には風速4mほど、動画を見てもらえればわかる通り風の音で音声が聞き取れない程ですが、全くと言って良い程揺れません。最大延伸の25m(八階建高)でも不安は感じられませんでした。本当は町民の皆さんに体験して頂ける良いのですがそれは少々難しいようなので動画でお楽しみ下さい。
先日、子ども頃から消防士になる事が「夢」で、それを実現する為に現在も一所懸命に勉強している青年のお話をお聞きしました。そんな「夢」の入口が新しいはしご車になるかも知れません!!それならおよそ一億円の価格も高いものでもないのかも知れません。

2011.2.13(日)新年の集いと凧あげ
羽島市で行われました、新年の集いへ参加させて頂きました。羽島市議・岐阜市議の皆さんと一緒での参加となりました。
午後からは、三男と凧を持ってみなと公園へ行きました。二つの凧を持って行ったのですが、三男は一つ目を組み立てると待ちきれず走って行ってしまいました。すぐに凧糸いっぱいまで送り出したのですが・・・手袋が引っかかって糸巻きを手放したその時、凧は勝手に天高く上がって行きました。凧糸が桜の枝に絡まれ、桜の木が凧あげをしている状態になってしまいました。夕方確認に行って見ると糸が切れて何処かに飛んでいったようでした。

2011.2.8(火)経過報告9
昨年11月から経過報告をしていませんでした・・・
2010年2月8日から始めた生活習慣改造計画も無事一年を迎える事が出来ました。しかし、12月20日を過ぎた頃から忘年会・年末年始と過ごす間にかなりの体重・体脂肪増・・・重くなった体で1月3日には転倒、右肩を強打し、胸から上に全く上がらなくなってしまいました。それから一ヶ月ジョギング終了後の腕立て伏せを休止していました。
その重く鈍った体を元に戻すのにおよそ一ヶ月を要しました。経過報告2の見聞録記事中には「最初一時間歩いていたものが、30分を切るまでになりました」と報告していました。現在では、20分を切るまでになりまし、体重・体脂肪も減少に転じました。体の動きも軽くなって来ました。
これからも続けて来ますので街で見かけましたら、声を掛けて下さい。

2011.2.5(土)道徳のまち笠松のつどい
平成19年に「笠松町道徳のまちづくり条例」を制定し、今年で三回目の「道徳のまち笠松のつどい」が開催されました。道徳のまち推進委員の皆さんから実践された「きれいなまち」「あいさつのまち」「ささえあうまち」に付いての報告のあと、角田識之氏講演会が開催されました。笠松町HPの案内によりますと「今年度は各地で「志」授業の提唱と実践をされている「角田識之」氏を講師にお迎えし、皆さんと共に人とつながる心、自ら取り組む心、人を思いやる心を育み、「志」による活力ある町づくりについて考えます。」とあります。昨年岐阜市での講演会の事や笠松町に来て頂いていた事など、角田氏に関わる事が上手くアピール出来ていなかった様に思えてなりません。角田氏のブログにある、「最後に広江町長より、「臥龍さんのお話は全町民に聞いていただこう」というお言葉をいただきました。」この想いをもっともっと上手に、町民の皆さんへ伝えて欲しかったです。

2011.2.4(金)二分の一成人式アンケート結果
平成18年、私の子ども達への実践を 笠松町青少年育成町民会議家庭部会へプレゼンさせていただきました。一年間熟慮をし、平成19年度より実施してきました「二分の一成人式」も平成22年度で第四回を出版させていただく事が出来ました。第2回目の発行時から受け取られた方へのアンケート調査をしてきました。これは、主催する者の独りよがりになってはいけない、受け取られる方への配慮を忘れてはいけない、との想いで行う事と致しました。第二回発行時には、アンケート調査の方法が不備で一件の返信がありませんでした。第三回の時にはその経験を活かし、調査用紙を別に印刷し渡す事と致しました。その結果、十数件の返信が有りました。それを家庭部会で議論し、第四回を行う事とし、製本は業者にお願いし保存しておく事が促せる形にさせていただきました。
今年、第四回アンケート結果を見てその多さにびっくりです。事務局でまとめていただいたものをOCR処理しpdfファイルにすると17頁にのぼる回答をいただきました。その量にもさることながら内容にも感動致しました。ほとんどの方が感動し、継続を希望されていましたが、内容や方法などに付いて改善を求めるものもいくつかありました。これらは、第五回を行うかどうかを含め、家庭部会で真摯に議論したいと考えています。

1月

2011.1.1(土)元旦
2011.1.4(火)笠松町歴史民俗資料館 干支展
2011.1.4(火)凧お絵かき教室
2011.1.9(日)左義長と新成人の集い
2011.1.11(火)逆さ氷柱
2011.1.12(水)晩白柚
2011.1.13(土)サイクリングロード
2011.1.16(日)第6回木曽川凧あげまつり
2011.1.25(火)北野神社例大祭と総会
2011.1.26(水)伊勢神宮参拝
2011.1.28(土)広江嘉吉選手常設展示場オープニングセレモニー
2011.1.28(金)羽島都市計画ごみ焼却場に関する公聴会
2011.1.29(土)松枝地区町内会と消防団の交流会

2011.1.29(土)松枝地区町内会と消防団の交流会
日頃から、消防団員の推薦に東奔西走されている町内会長と消防団第二分団役員との交流会へ私たち松枝地区から選出されている五人の議員へも出席要請がありました。これは、第二分団の新年会で持ち上がった話が早々に実現出来たと言う事の様です。
消防団の日頃の活動内容の説明や訓練の様子などをお聞きした後、最も問題となっている団員補充へと話しは集約されて行きました。会長さんからは、その大変な状況のお話をお聞きしつつ、分団からは前向きな発言を多く聞く事が出来ました。
私も十四年余に渡って団員をさせて頂いて来ました。退団する時の階級は「部長」で班と分団との調整役・班と地元町内会との調整役をさせて頂いて来ました。団員補充についても随分苦労をさせていただいて来ましたので、皆さんがお話しされる事は痛い程解ります。現在は議員として一般質問等を通してOBの有効活用などの提案をしてまいりました。こうして松枝地区全議員が同じ立ち位置に立てる事が出来た、今回の交流会は実に有効であったと感謝いたしております。後は私たちが現実にどう動くかが肝心です。

2011.1.28(金)羽島都市計画ごみ焼却場に関する公聴会
羽島都市計画ごみ焼却場に関する公聴会が羽島市文化センター401大会議室で開催されました。概要説明が行われた後、15人の公述人の民さんがそれぞれの立場で意見を公述しました。
五年間の延長をお願いした期間で、新施設を使用可能状態に建設するには平成24年3月での用地取得、平成25年4月ごみ焼却場建設工事契約の予定になっています。公聴会を聞いた範囲では、非常に難しい局面で有る事に代わりはありません。公聴会での内容についてご興味のある方は、ご連絡下さい。

2011.1.28(土)広江嘉吉選手常設展示場オープニングセレモニー
NPO法人「笠松を語り継ぐ会」の皆さんの活動拠点である「杉山邸」土蔵の二階に広江嘉吉選手常設展示場が設置され、そのオープニングセレモニーが行われました。
広江嘉吉さんとは、笠松出身で岐阜商業高校野球部の選手です。昭和八年県岐商が全校初制覇を成し遂げた時の主力投手です。戦後には母校の監督となり、常勝・県岐商の礎を築いた方だそうです。その方の展示場が「笠松を語り継ぐ会」の拠点、「杉山邸」でオープンするに至った経緯については、代表である高橋恒美さんが説明されていますのでそれをご覧下さい。
また、広江嘉吉さんは笠松町長、広江正明さんの叔父にあたります。更に広江嘉吉さんの奥様は、映画監督である篠田正浩さんのご兄弟で有る事から、篠田監督、ご本人もオープニングセレモニーにご出席頂き、ご挨拶をいただきました。更にご来賓として、「杉山邸」を寄贈して頂いた、杉山幹夫さん、岐阜県立岐阜商業高校校長である細江照夫さんもご出席頂きました。
今回の事で、笠松という街の時間軸と言う奥行きの深さ、懐の深さを改めて実感しました。この新たに創り出す事の出来ない“財産”、その大きさを確信したのです。

2011.1.26(水)伊勢神宮参拝
田中勝士後援会主催の伊勢神宮参拝バス旅行が開催され、参加して来ました。2008年から始め、今年で四回目の伊勢参拝の旅です。募集人員170名のところ220名の方が応募され嬉しい悲鳴です。
今年は統一地方選挙の年に当たります。四年間の活動に対しての審判が下る年であります。羽島郡選挙区は一人区です。本人の日頃の活動もさることながら、それを支える私たちにもその真価が問われる事でもあるのです。つまり、しっかり支える事で対抗馬が出る隙間を与えない事も大事な事だと考える事も出来きます。そんな活動が出来たのでしょうか?神宮で手を合わせながら自問自答してみました。
昨今のパワースポットブームで伊勢神宮を訪れる方も、過去最高だった様です。その境内にある最も大きなパアースポットで有る、杉の木に触れて来ました。御利益を期待しますよ!!

2011.1.25(火)北野神社例大祭と総会
今年も例大祭の時期が来ました。私は午前中は多忙を極め、例大祭には参拝する事が出来ませんでした。
総会では、幟旗を掲げる支柱を、ステンレス製の支柱で、滑車を利用して幟旗を掲げる事ができるタイプに更新する事を承認していただきました。これで高齢化した氏子の皆さんの負担が軽減出来ると思っています。

2011.1.16(日)第6回木曽川凧あげまつり
第6回木曽川凧あげまつりが降りしきる雪の中開催されました。このような天候での開催は初めての事で、私の携帯電話を始め実行委員の皆さんのも「今日はあるんですか?」の電話の嵐でした。私自身も、朝起きて外を見た時は、愕然としました。早朝から雪の中、テントなど設営を済ませ待っていると、カラフルタウンで作った凧を持った親子を見た時は本当に嬉しかったです。それから続々と集まり始め、およそ300人のお客さんが集合しました。昨年には叶いませんが、この天候を考えると本当にありがたいお客さんでした。
長野県茅野市からの凧師の方を始め、多くの凧師の皆さんも駆けつけていただき無事、開会式を行う事が出来ました。また、ミナモも岐阜国体のPRに連凧と供に参加、ひあゆ丸も連れて来れました。岐南町のマスコットキャラクターのねぎっちょも駆けつけてくれたのですが、かさまるくん・かさまるちゃんは雪のためテントで休養となってしまいました。
また、羽島郡二町教育委員会教育長さんも手作りの連凧を持って参加して頂きました。毎年開催にご尽力いただいています、凧師の小川さんも笠松町の凧を新作として華を添えていただきました。
私と言えば友人と供に、同時に開催したフォバークラフト体験試乗会のお手伝いで凧を楽しむ事は出来ませんでしたが、疾走するフォバークラフトへ多くの親子を案内する事が出来ました。フォバークラフトの所有者で高校時代の友人も雪の中での運転は初めての事で戸惑いやマシントラブルもありましたが、事故もなく楽しんでいただけました。友人たちのお陰です。感謝!感謝!
さすがに降りしきる雪には勝てず、予定を繰り上げ13時半頃には終了、撤収となりました。それでも3回目までの開催に比べると多くの客さんに楽しんでいただけるようになりました。これも実行委員の皆さんのお陰だと感謝しております。
17時からは、反省会が「まほろば」で行われ、次回の開催を約束しました。次回のご参加、心からお待ちしております。

2011.1.13(土)サイクリングロード
笠松町でもリバーサイドタウン笠松の中で、名鉄木曽川橋梁からJR東海道線橋梁までの間で、来年度工事が計画されていますサイクリングロードがあります。
愛知県側では一足早く整備が進められています。今年度の工事情報が掲示されていましたので見学に行って来ました。生い茂った竹藪を伐開してサイクリングロードを整備していました。木曽川橋 → ツインアーチ → 渡橋 → 平成川島橋 → 河川環境楽園 → トンボ天国 → みなと公園と言った周遊コースも楽しいと思いますが如何ですか?

2011.1.12(水)晩白柚
岐阜工業高校同窓会実行委員会が岐工記念館で行われました。
会議終了後に総会担当である、浅野副会長から総会実行委員の皆さんへの激励を込めてプレゼントが渡されました。晩白柚(ばんぺいゆ)と言う柑橘類でザボンの一種だそうです。以前は重さでザボン区、世界一としてギネスに認定された事も有るそうです。これの苗を八代から取り入れ、岐阜で栽培をされている浅野副会長さんが収穫出来た一部を持って来ていただいたのです。写真で見てもお解りの様に、いつもかぶっている私の帽子と比べて見て下さい。その大きさの同様、おいしさもBigです。皮はザボン付けにしても良いとの事です。またお風呂に入れるとその香が良い上に、肌がすべすべになるそうです。
でも・・・ネットで価格を調べてびっくり!!値段もBigでした。

2011.1.11(火)逆さ氷柱
年が開けて以降、寒い日が続いています。気温も11日までに岐阜で最低気温が氷点下まで下がったのは八日間でした。今朝の岐阜地方気象台発表で氷点下2.5℃と年明け以降8日の氷点下2.7℃に次ぐ寒さです。そんな朝、外にある水道の下を見ると逆さ氷柱、つまり下に受けてあるバケツから氷柱が生えて来ているのです。ここの蛇口は、パッキンのしまりが悪くよほどしっかり締めても、ポタリポタリと滴が落ちます。折からの寒さで鍾乳石の様に下から固まって成長したのでしょうか。三男に教えるとポキリと折り取り、本格的に始まった三学期の学校へ走って行きました。

2011.1.9(日)左義長と新成人の集い
毎年の事ながら左義長、新成人の集い、出初式、消防団第二分団新年会が重なってしまいます。
先ずは、氏子役員をさせていただいています北野神社へ直行です。取りあえず会場である児童館まで行き出初め式に出席しなければならい事をお詫びし中央公民館へ急ぎます。そして出初め式を終えた後、左義長に戻って見ると、ほとんど燃え尽きる直前です。私の町内では三箇所で左義長が行われていますので、それぞれを廻っても片付けにはいる所でした。またまたそれぞれにお詫びを申し上げ、昼食を取った後、「新成人の集い」へ急行しました。
新成人の人口推移を見てみますと、今年の総人口に占める新成人の割合が1%を割り込み0.97%との事です。笠松町ではどうかというと、広報笠松1月号に載っている平成22年12月1日現在の人口は22,429人です。今日行われた「新成人の集い」でいただいた資料によりますと町内在住の新成人数は205人となっています。これを人口で割り返して見ますと0.913%、つまり全国平均よりも低い値となっています。町外へ出ておられる方、17名をプラスすると0.989%とかろうじて全国平均を上回ります。つまり20歳の時点では多くが住所を町外へ移しているのです。おそらく学生などで町外へ出ていても住所を移していない方を含めると割合はもっと少なくなる物と思われます。彼らが戻って来たい思えるまちづくりをしたい物です。「故郷」は決して君たちを忘れない。そんな街でありたいと思っています。



2011.1.4(火)凧お絵かき教室
I月16日(日)に行われる「第6回木曽川凧あげまつり」に協賛いただいています、カラフルタウン岐阜で凧お絵かき教室が開催されています。
昨年は、和凧の製作と飛ばすための糸目の調整を行いました、製作はそれ程難しい物では無いのですが、糸目の調整が難しく なかなか上手く飛ばす事が出来ない親子が多く出てしまいました。今年は、洋凧に絵と夢や希望を書いてもらう事にしました。
訪れた親子の皆さんも{サッカー選手になりたい}「ダンスが上手になりたい」など思い思いの絵や夢、願いを描いていました。子どもさんより真剣に取り組んでいるお母さんの姿もあり、ほほえましい光景に思わずシャッターを切ってしまうのです。
1月4日〜7日の4日間13時からと15時からの一日二回。1回当たり25人の8回開催で200人の皆さんに凧に夢を乗せてもらいます。そして、その凧のデザインのコンテストを16日の凧あげまつりに行います。優秀な作品にはカラフルタウンから賞品がでます。皆さんも是非ご参加下さい。

2011.1.4(火)笠松町歴史民俗資料館 干支展
毎年恒例の笠松町歴史民俗資料館の新年企画「干支 卯年展」が今日から始まりました。現在 民俗資料館に所蔵されている干支関連の物で十二支セットのものだけで1,300セット有るそうです。今年は100セットの展示だとお聞きしました。毎年見に来ても 同じ物が並んでいないと言う種類の多さです。これもひとえに宮崎先生のご尽力の賜です。
今年もそのひとつが入口で皆様を出迎えてくれます。チェーンソーアートのうさぎ君。これも宮崎先生が特注で製作依頼されたものだそうです。それからもう一つ、小さな木で出来たうさぎです。これは、「ナルカリ」こと草刈成雄さんの作品です。彼の作品と日々の活動は是非HPをご覧下さい。
皆さんもかわいいうさぎさんに会いに来て下さい。

2011.1.1(土)元旦
あけましておめでとうございます。
今年の元旦は、昨年同様降雪模様です。昨年は、一年生になった事で始めて除夜の鐘を突きに行く約束になっていたのですが、豪雪で行けなかった三男は行く気満々です。久しぶりに学生寮から帰って来た長男、受験生の次男とゲーム機ではしゃぎ廻って今か今かとお待ちかねです。午前零時直前に次男以外で出かける事となりました。三男が行く事で家内も一緒に鐘を突きに行くのは始めてです。皆で鐘を突いて新年を迎える事が出来ました。

私は元旦の早朝に行われる「元朝式」に出席させていただくためにしばしの仮眠をさせてもらいました。午前4時にお迎えの車に乗り込み羽島オークション会場へ向かいます。羽島市長さんや県議・市議の皆さんと一緒に「元朝式」に臨みました。「年頭之辞」では、ハッとさせられる言葉をいただきました。仕事でも育児でも“しなければならないもの”を繰り返しているあいだに“したくないもの”になってしまっている事。それでも始めて仕事に就いた時はそれを望んでいたのです。育児も多くの場合、生まれた時の感動を忘れてしまっているのです。実は“しなくてはならないもの”をしている時が最も幸せな時で有る事に気が付かなくてはいけない事で有る事。明日ではなく「今」する事の重要さを教えて頂きました。

元朝式から帰宅後、そのまま笠松の初日の出のをカメラに納めるために一人歩いてみなと公園へ向かいました。しかし、ちょうど初日が昇って来るところだけ雲に覆われ見る事が出来ませんでした。公園には多くの町民の皆さんが来ていたのですが残念な結果になってしまいました。私は少し上流へ脚を伸ばし競馬場の方へ行って見ると雲の隙間から漏れた初日が金華山を照らし そのコントラストのすばらしい事。私の写真の腕の問題で皆さんにお伝え出来ないのが悔しいと事です。

お雑煮をいただいてから、家族全員で笠松町内の神社に初詣です。これは父が生きていた時からの我が家の恒例行事です。今年、受験生の次男の無事合格を祈願したのは言うまでも有りません。

夜は、家族と私の兄妹家族と共に母の誕生日を祝います。孫たちが手作りしたケーキとお土産のロールケーキが華を添えます。
今年も厳しい年になりそうな気がしますが、家族と一緒に過ごす元旦が総ての出発点です。
今年1年もよろしくお願いいたします。

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